■デイリーインプレッション:バックナンバー 1999/10/11~1999/10/20
1999年10月[ /11日 /12日 /13日 /14日 /15日 /18日 /19日 /20日 ]

1999年10月11日(月)

妻は私を早口だと言う。もちろん当人が自覚のないのは誰しも同じだろう。
人のことはよく分かるが、自分のことは分からないのが人間だ。
むかし、妻と見合いをした後、実家に呼ばれて義父にはじめて会った。私が辞したあと、義父は、私の言ったことがさっぱり分からなかったと言ったそうだ。言葉は通じぬが、だますような顔をしていないから、まあいいか、ということで所帯を持った。
上の娘が私の早口の遺伝子を受け継いだ。最近の若い娘も早口だが、娘は最速の部類だろう。米語を多少しゃべれるようになって留学から帰ってきたが、その米語も早口だ。どうも舌の回転は言葉を選ばずということらしい。
藤田まことの「はぐれ刑事純情派」というTVドラマが好きで、よく見ている。最近、中休みになっているのが残念だ。筋立ては毎回似たようなもので、藤田まこと演じる、くたびれた万年平刑事の人情おさばき捕り物帖だ。スナックママとのほんわか恋が色をそえる。ドラマのある毎週水曜日は、万難を排し一路帰宅を急ぐのである。
とにかく、藤田まことのしゃべりがいい。ゆったりと、低いがよく通る声で自然の調子だ。また、「間」が泣きたくなるほどいい。こんな風に言われたら、盗んでなくたって、盗みましたと言いそうだ。この自然体会話術は永い芸歴の積み重ねの上に成り立っているのだろう。至高のものは、巧緻を感じさせず素朴になるという例だろう。
藤田まことのしゃべりができたらいいなとドラマを見るたび思う。しゃべり過ぎはよくない、相手の話を聞いたあと、数秒「間」を置くのがコツだ、手振りはなるべく減らした方がいい、などとテクニックをいただこうと思うが、所詮、安浦刑事にはなれはしない。積み重ねがちがうのだ。
妻が、「顔と、鼻の下が長いところは藤田まことそっくりよ」とほめて(?)くれるのは喜んでいいのか悪いのか。


1999年10月12日(火)

最近まで私は中国熱に浮かれていた。まわりもそんな感じだった。
中国観光の旅にも数回行ったし、懇意の企業も研修生として多くの中国人を受け入れていた。隣国同士の友情の絆を深めようという雰囲気が確かにあった。
このところ、それに一時期のパワーがないと感じるのは私だけだろうか?
日本の景気も悪いし、我々の財布のひもも固い。蛇頭だの密入国だのマフィアだの犯罪の影もちらつく在日中国人社会も不気味だ。本国の不安定な経済と唯我独尊的な外交政策が違和感を持たせる。などなど熱をさます要素もある。
我々の中国像は昔の古き良き(?)時代の中国をもとにしているとよく言われる。中国四千年の歴史という甘い響きは多くの誤解を生む理由ともなる。共産主義国として生まれ変わって50年、文化革命という極端な過去否定を経て存在する中国は、我々の歴史感覚では捉え難いところもあるようだ。私の少ない経験でも、違和感を感じることが多々あった。
私は近所の中国会話教室に4年ほど通った。まったくの初心者向けで、週一回半年単位だ。半年たてば半分挫折し、1年たてば8割は辞める。また人が増えてゼロからやり直すというもので、上のレベルにちっとも行かない。私も在籍するだけで、予習復習一切しないから上達しようがない。漢字で意味がだいたい分かるから、余計始末が悪い。聞けない、話せない、で恥ずかしくて中国語を勉強したと人に言えない。
この教室の生徒は、閑と可処分所得のあるオバタリアンで占められていた。気の弱い私は片隅でただ、口をパクパクだ。若さ(?)を買われて、大陸に2回ほど会話武者修行の用心棒として同行した。金を払うときの値切り交渉のすごさと、強靭な胃袋にただ感嘆するだけであった。彼女らにとって、中国は安全で、肩のこらないカジュアルな、実利のある旅のできるところだ。
私が行かなくなった時期に前後して、オバタリアン学友(?)のほとんどが教室をやめた。
ちっとも上達しない中国語に見切りをつけたのか、ふところ具合か、中国そのものに対する熱が冷めたのか。これだから熱しやすく冷めやすい日本人と言われるのかも。反省!


1999年10月13日(水)

腰痛は現代病のひとつと言われる。がそれは日本人の場合だけだそうだ。
畳で正座の姿勢から、椅子の生活に変わりつつあるが、まだ日本的な所作を余儀なくされる住生活がある。さらに、若い人が大柄な体型に合った立ち姿勢の筋肉が鍛錬されていない。西洋人のように何時間でも立っていられないのだ。あの旧便器スタイルの若者でわかるだろう。すなわち腰痛は姿勢西欧化の過渡期にある症候のひとつなのである。面白いことに腰痛には正座がいいとされる。
私の生まれ育った時代は畳でちゃぶ台が主流であった。中学のころ、初めて立ち机を勉学のため買ってもらった。遊び呆けてほとんど座らなかったから、この投資まったく無駄だった。よそのお坊ちゃん連中は知らないが、わががき連では自分専用の勉強机を持っているのも少数派だった。
高校時代、185センチの身長をもった私にとってあらゆる事が不便だった。家の鴨居には頭が当たるし、授業では前の席には座れない。座高があるのだ。その結果姿勢が悪くなるのは当然だ。時代が私の姿勢をつくった(!)。
また当然のごとく、私は若いころから腰痛もちだ。マージャンを3日3晩ぶっ通しでやり、1週間寝たきりということもあった。(この例は不適当というひとがいよう!) 社会人になって、椎間板ヘルニアのコルセットをつくったとき、職場でやっと一人前になったと祝福された。厳しい肉体労働が売り物のところだった。牽引、痛み止め、ビタミン注射、ヘルニア体操、いろいろやった。
下の娘が先天性股関節脱臼とやらで、やはりコルセットを強要(?)され、二人して整形外科に通う姿は周囲の好奇と同情の目をさそったものだ。
ダマしダマしこの年まできた。太極拳、カイロプラクティック、ジムなどいろいろしたのが奏効したか?妻の答えはちがう。マージャン、ゴルフ、夜遊びなどやめたのが効いているという。座禅でも組んで自分の愚かさを反省すればもっといいと力説する。ああ!仙人になれというのか。


1999年10月14日(木)

人間とは.........する動物である。という云い方の中で、..........に、「退屈」という言葉を入れるのが最高にピッタリだ。
実はこれは、ある作家の受け売りだが、いいところを突いていると思う。
話し相手の退屈が気にならなくなったときが、親密という関係だろう。それに至るまで、ひとは苦心する。退屈させないように一方的にしゃべりまくる人がいる。この結果、相手をさらに退屈させる。当然、会話がなくて手持ち無沙汰のケースもある。以心伝心のコミュニケーションは日本人のお家芸だが、これは親密な関係に成り立つ手抜きだ。もっとも「俺の眼をみろ、何にも言うな!」なんてのは私は好きだが。高倉健が好きな日本人の典型である。
英語国民は、小さいころから退屈させない話術を学ぶのだという。そして、それにはユーモアとアイロニーが肝心だという。アイロニーは「皮肉」という日本語を当てるが、原義は、自分の言いたいことを強めるため、逆のいいまわしをする修辞技法のことだ。たとえば、ひじょうに小柄な人がスピーチで、「私はこの会場の中で一番の大物のようですね」なんて「ビッグ」の言葉を懸ける。日本人は英会話が得意でないとして、「私のまずい英語が恥ずかしい」と言うが、「私のまことにすばらしい英語を誇りに思います」と言ってやればいいのだ。これらはいずれも話相手を退屈させないためのテクニックだ。中身が問題というが、だらだらと続く正論も退屈のきわみとなる。ちょっとしたアクセントが欲しい。
知ったかぶりで書いているこの私の話は、まさに退屈だという声が聞こえる。
「私はいつも、ほんとにほんとに含蓄のあるデイリーインプレッションを、自信をもってお送りしています!」って笑える?それとも呆れる?
これはアイロニーとは言わず、破れかぶれと言う。


1999年10月15日(金)

梅宮アンナと別れた羽賀ナニガシが、記者会見でしきりに謝っていた。
マルチ商法の宣伝の片棒をかついだらしい。「内容がよくわからなくて」と盛んに弁解していた。わからないのにどうして他人に薦めたのか?、と記者が問い詰めているのは笑える。彼にモラルを問うなら、もっとヒドイ奴もいるぞと言いたい。
このマルチ商法とネットワーク商法との違いがよくわからない。どの辺が違法で、どこまで許されるのかはっきりしないのだ。テレビの女性弁護士が説明していたが、これもすっきりしない。仲間をどんどん増やしても、自分が最初に買わされた分が相殺できないような仕組みであればマルチということと理解したが、どうも分からない。どなたかお詳しい方がおられれば、ご教示願いたいものだ。
私の友人夫婦がこの種のビジネスで成功したために生活が破局した。
夫は博士の学位を持つ技術者で、国のある機関の管理職を務める。妻は結婚前は小学校の教員をしていた。まず妻がはまった。現在店頭銘柄となっている米国のネットワーク企業の一組織員となり、人の輪、もうけの輪を広げた。扱った洗剤など品物も良かったというが、彼女の外交能力は驚嘆すべきものだった。彼女の年収が夫のそれを上回ったとき、夫もその輪の中でしぶしぶ活動するようになった。そして夫の転勤。地元で根付いた輪を見捨てられず別居。
息子を医者にしたいという夢は、収入が増えたとき現実となった。がしかしその私立の医大は容赦なく巨額の学費、寄付と取り立てる。かたわら妻は自分で造った人の輪の中で、いつも成功者の役割を演じ続けなければならない。それには仕掛けがいる。ベンツ、別荘、高級レストランでの会合、貧乏くさいものは華やかな成功には不似合いだ。
そしてその結果、借金、お互いの不倫、離婚、と最悪のケースだ。傍目もうらやむエリート技術官僚夫婦が一転、どん底物語と相成った。
この夫婦のケースからこの種のビジネスの正当性をうんぬんするつもりはない。
また、この夫婦も人生の営みを終えたわけではない。七転び八起きが人生だ。
この種のビジネスが好きか?と問われれば、私が自信をもって嫌いだ!と言うだろう。この友人夫婦の事件が理由の一つだ。そして土煙る現場で汗して働く仲間たちの仕事から見れば、それは虚職と映るからだ。


1999年10月18日(月)

市報のなかに英会話クラブのメンバー募集の案内を見つけた。
仲間と一緒に勉強すれば、飽きずに続けられるかも知れないと思い、妻の止めるのを振り切って電話をした。内容を教えてほしいと言うと、Eメールで細かく連絡します、と歓迎している風だった。
そのメールには次回の勉強内容が丁寧に書かれていた。最初の1時間は、アメリカンスクールの先生の講義だそうだ。残りの1時間は、テーマを決めた個人のスピーチだと言う。一人2分間だそうだ。先生が助け舟を出してくれるらしい。
いま、昔にもどるとしたら幾つになりたいか、そしてその理由を述べよというのがテーマらしい。若い人には、何歳まで年を取りたいか、になるという。私はどちらかと迷ってしまった。妻をこれを聞いて、迷うのはおかしいという。楽しい明日のない私は、昔を選択するしかないというのだ。まるで真っ暗な未来が待っているような口ぶりだ。とりあえず昔を選択することにした。
これは、きっと仮定法過去か仮定法過去完了の練習だと見当をつけて、例文を並べてみる。どうにか文は作れそうだ。ところで、幾つにもどろうか?5つ6つは良く覚えていないし、物のない時代だった。小学生?楽しい思い出ないな。中学生?とくにないな。17,18、暗かったな。大学?金が無かったな。結局、今の人生を繰り返すんじゃ、結果わかっているから面白くなさそうだ。まったく違う人生を歩めるということでなければ、戻りたい年齢なんて考えられないではないか?さて、これはどういう設問だったか?人生変えてもよかったのか?
年を取ったら被介護老人か墓場の住人だろうから、これもだめだ!
こうした消去法により「いま」になりました、というのはどうだろう。しかしその理由を言うのに、私の英語力では説明が不可能だ。困った!弱った!
結局、陳謝とともに不参加のメールを出したのである。
ほくそえむ妻に、お前と楽しい婚約時代をもう一度と言おうと思ったが、人前で照れくさいからやめた、と言ったら、ひとこと「いやらしい!」。
小人、女人あつかい難し。ああ! 生まれ変わったら別人を選ぶぞ!


1999年10月19日(火)

ゴルフをやめて10年になる。もともと数ヶ月に一度という程度であったから、ちょっと長い休眠期間みたいなものだ。また気が向けば芝生の白球を追いかけることもあろう。
あれはちょうど10年前だった。取引先の部長ともうひとり、当方はふたりでコースに出た。先方の部長はコンスタントに90は切るまあまあの腕で、口の方も達者な楽しい人だった。私はキャリアは長いが、100を切るか切らぬかだ。
昼飯を食べて最初のホール、ここで私はティーショットを連続6OBをした。6回連続場外だ。2発目ぐらいまでみんな笑っている。3発目に「クラブを代えませんか?」とキャディさんから声がかかる。4発目になると何を言ったらいいのかときまずい雰囲気、6発目は、私も顔面蒼白。7発目にチョロっ!と前進!普段からティーショットは玉砕精神だ。ドライバーで思いっきり振り切るのが快感であり、それでも3発以内にフェアウエイにのっていたのだが。ドラコン(飛距離競争)では実績もある。こんなことは初めてだ!
午後のゴルフは、重苦しい雰囲気が充満し、会話も弾まなくなってしまった。みんな私の偏屈な性格にあきれ返っているのだ。クラブを代えて仕切りなおして打てば半分で済んだかも?腕が悪い、指導は拒む、練習は嫌い、性格が偏執とくれば運が悪ければ(?)こういう事が起こる。しかも、なくなったニューボールが1ホールで6個。経済的損失も痛い。神も仏もいないことを確信した日だった。
ゴルフのマナーの基本はひとに迷惑をかけないことである。私のゴルフ場での存在そのものがはた迷惑と悟ったとき、結論はひとつだった。帰りがけキャディさんがささやいた「ティーショットで6回もOBするシト初めて見たよ、あんたも強情なシトだね」のことばにいまも傷ついている。


1999年10月20日(水)

川遊びは楽しい。ひろびろとした河原と澄んだ水は心を和ませる。
古代の文明が河に沿う地域で開けてきたのは、肥沃な土地という実益性のほか、水辺に対する憧憬みたいなものがあったのではないか?と、素人はロマンチックだ。
私は山国に育ち、文字どおり水が清き小川で遊んだ。高地の渓流の白きほとばしりと碧の水色ほど美しいものはないと思っている。故郷の「上高地」が毎年、人に溢れるのは、私の思いと同じ他所ビト(!)がたくさんいるということだ。
家の近くを流れる川がいつのまにかきれいになって、大きな鯉が群れている。休日に魚つりをしている親子連れなどを見ると、東京も悪くないなと思う。景観とか、エコロジーとかの高まりのおかげだろう。高度成長の波に押し流されてきたわれわれも、やっと身辺を返り見る余裕ができたにちがいない。住の部分がまだ欧米に見劣りするというが、日本も先進国の仲間入りしていることはまちがいない。
先日テレビで、皇居のお堀に外来魚のブルーギルが増えて困ると言っていた。
だれが放したのか分からないのだそうだ。そういえば、あちこちの湖沼でブラックバスがどうしようもなく増えたそうだ。フナや鯉つりより、ブラックバスつりの方が若い人には人気のようだ。日本の伝統魚も外来魚のアタックを受けている図だ。弱い魚がやられているらしい。グローバリゼーションという荒波はなにも経済界ばかりではなかったのだ。そう言えば植物の世界でもかなりの外来種が見られるという。これらはあがらってもどうしようもないことなのだろう。
コブナ釣りしかの川が、ブルーギル釣りしその川に変わる。
夢はいまもめぐりて、忘れがたきふるさと。 ああ!


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