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1999年11月[ /22日 /23日 /24日 /25日 /26日 /29日 /30日 ]

1999年11月22日(月)

現代人の健康願望は度を越したものであると思うときがある。人間は何かをするためにこの世に生を受け、健康はそのための必要条件にすぎないのに、それを維持することが目的になってしまった感があるのだ。
多くのひとは運動不足を気にする。何かしなければと一種の脅迫観念に近いものを持っている。私の痛風の医者は、スポーツは必要ありませんが、運動はしてくださいよ、とアドバイスをする。この区別いまだに分からない。ルールのある運動がスポーツかと思うのだが、正確な定義は不明だ。
会社を4人で創業したとき、それまで夢中になっていたゴルフをしばらく我慢しようということになった。私以外の3人は、学生時代それぞれ、剣道、野球、卓球で鍛えた言うならばスポーツ派(私は彼らを武闘派と呼ぶ)だった。私だけはパチンコ、マージャンと室内遊戯を愛でた軟弱派(彼らは私を放蕩派と呼ぶ)である。
武闘派は体を動かしていないとストレスがたまる。そこで手軽で、安上がりのテニスでもしようかということになった。ブランドもののテニスウエアなぞ目もくれず、みな独自ファッションだ。黒ずくめの忍者、クラブをラケットに代えただけのゴルフおじさん、工事現場と間違えたようなファッションなど異様な一団となった。みなもともとのスポーツ好きだから筋はなかなか良い。私も30代に軟式テニスの同好会に入っていたから、まったくの素人ではない。
仲間の誰かが自慢話をしたのか、ある得意先のテニス好きが聞きつけて、対抗試合をしようと挑戦してきた。
当日の我々のいでたちは彼らを驚かすに十分だった。先方のリーダーらしき人が「皆さん個性的ですね」と言う以外なかったろう。
試合運びも彼らをびっくりさせた。グラウンドストロークがほとんどない、一発必殺、穴場ねらいに終始だ。相手にまともに返さない。
この日以来、卓球OBの一人を除いてテニスをぷっつり止めた。勝つには勝ったが、テニスに何か違和感を感じたのかもしれない。本当にテニスが楽しめるには、真に腕が上達しなければならないことが分かったからだ。
相手が必要なスポーツは難しい。同程度のとき初めて楽しめるからだ。しかもその腕が低レベルではだめなのだ。素人の裏技、寝技は姑息な悪あがきだ。私はスポーツとは、そうした難しいものの意だと解している。したがって、いまさらスポーツはしない。


1999年11月23日(火)

家庭内暴力が一時期マスコミで盛んに取り上げられた。これはすさんだ子供が親に暴力をふるう例だった。最近、親の幼児虐待が一部マスコミで喧伝されている。
これはしつけの方法としての体罰が行き過ぎたものと理解されなくもないが、病的なものが多い。自分の暴走を止められないと嘆く親の心は不可解だが、痛めつけられる子供はたまったものではない。
夫の暴力がひどくて.......という家庭もある。いずれにしても暴力は悪というべきだろう。戦争という最大暴力まで含めて。
私は結婚して30年ほどになるが、妻にたった一度の暴力もふるったことがない。
人一倍すぐ頭に血が昇るタイプだが、悪口雑言以上に及ばず今まできたことは、自賛すべきものだと思う。妻に蹴っ飛ばされた時でも耐えたのである。ひとは(実は妻は)恐妻というが、私は耐夫と言い直すのである。
しかし、私は一度だけ家庭で暴力をふるったことがある。上の娘を叩いたことがあるのだ。その場面と、娘の恐怖や救われない思いでゆがんだ顔を思い出すと、つくづく暴力はいけないと感ずる。
娘が推薦で九分九厘入れると考えていた大学にすべってしまった。残りのすべり止めも失敗した。専門学校とも考えたが、良さそうなところが見つけられない。
気持ちが荒び、言動も乱暴で投げやりになる。そして自己否定の風だ。浪人という選択も目に入らない。その日、娘の自堕落な言葉に、手が出るのを抑えられなかった。人生をなめるなと言いたかったし、自分の力を信じろとも言いたかったようにも思う。無論、手が出たのはただの怒りだ。
運良く、娘は地方の短大への入り口を見つけ、大きな破綻を経験しないで自分の道を歩むことができた。そして今、米国の大学で遅咲きの学生として生きている。
暴力はいけない、確かに悪い。受けた方の恐怖は容易に消えないのだ。私のたった一度の過ちも、私の娘への愛情の発露であったと言い訳しても、決して許されることではないのだ。
高校時代、喧嘩に強くなりたくて、柔道、空手を少々かじった私は、暴力礼賛主義から平和主義に大きく変わった。この30年間、耐える夫を演じたから。


1999年11月24日(水)

週末、忍者映画「梟の城」を見に出かけた。東京郊外の、今はやりのシネマコンプレックス内の一館だ。時代劇だからか若い人は少なく,中年の男女が目立った。
同コンプレックス内の洋画館は若者で盛況だ。「梟の城」は確か再映画化で、司馬遼の作品でもあり期待したが、途中であくびが出た。中井貴一のせりふが大時代がかって、あとの若い俳優(特に女優)の軽い調子との落差が大きすぎる。さらに現代風のテンポにしようとして、シーンを端折り過ぎた感もある。子供のころ東映の時代劇映画を見まくった私としては、天下の篠田正浩監督にも手厳しいのである。むかし、東映の大友柳太郎の「梟の城」を見ておくべきだったと後悔の念しきりだ。
私は場末の映画館でひとりB級映画を見るのが好きだった。お客のまばらな館内の硬い木の椅子で、3本立て映画をよく見たものだ。映画黄金時代、私の田舎には、当時映画館が6軒あった。高校生になって正式に許されるようになると、授業をサボって映画館に入り浸った。すべての館を見てしまって、次週を首を長くして待つということがよくあったものだ。日本映画はもちろん、洋画も何でもよかった。いま考えると信じられない、3本立てのはしごということもあった。
現在もときどき見る。東京の場末の粗末な映画館で、ポツンと一人見るのがやはり好きだ。人がまばらな館内でひっそりと見る。私はやっぱり田舎もので、貧乏人なのだなとしみじみ思う。本当に心が落ち着くのだ。
どうしても見たい封切りは、すこし豪華な映画館に行かねばならない。そこは若者で溢れている。私のようなジジイは隅っこでひっそり見る。一緒に見せてくださいとお願いしつつ見るのだ。
2時間ばかりの映画に、すくなくとも1回はトイレにたたなければいけないジジイの私は、豪華な映画館で若者と一緒というのは、老いを感じさせる寂しいひとときなのだ。だから私は人のいない場末の映画館でB級映画を見る。


1999年11月25日(木)

軍隊経験があるほど年寄りではないが、戦後の混乱時代に幼年期をすごしたせいか、現代ではあまり感心しない習癖をいくつか持つ。早食い、併せ食い、食べ過ぎなど食習慣に関する悪癖もそのひとつだ。
早食いは、限られた量を兄弟で獲り合った貧しい時代の戦いの名残りなのか、短時間に食べることが美徳(?)とされた当時の風潮のせいなのかわからない。いずれにしても当時は、乏しい食材や忙しい主婦の家事量軽減のためには食事時間が短いことが善であった。食事を楽しむというより、ただ本能の満足のための一時であった。こうした幼児体験を経て、私はものをあまり咀嚼せず呑み込む習癖を持つようになった。
併せ食いとは、ご飯の上におかずを載せて食べることから始まる。白米は無味だからおかずで味をつけなければならない。口中で何かの味付けが必要になるから、ご飯を口に入れたらただちにおかずを放り込む。だんだんエスカレートすると2品、3品とおかずを立て続けに放り込むのだ。複雑な味を楽しむことになる。
いつか米国娘を我が家の食事に招いたとき、彼女は無味の白米の食べ方に苦慮していた。結局しょうゆをかけて美味しい!オイシイ!とすべて平らげたが、気の毒であった。次々と出てくる料理屋の食事は順序通り食べていけば良いが、家庭の食事は白米をおかずで味付けして食べる。あくまでご飯が主体だ。
これに慣れない西欧人は真の日本人の食事を味わうことができないのだ。
米国に3年ほどいた娘が、食事のとき最初におかずを食べてしまって、残った白米に食塩をかけて食べているのを見て、妻が「日本人との結婚は無理かもね」と嘆いていたのを急に思い出した。かくの通りなのである。
口中の白米をゆっくりそして手際良く味付けると上品な食作法と言われる。私の片っ端からおかず口中にを放り込む作法は下品の極みなのだ。
十分な咀嚼をせず、併せ食いするため満腹を感ずるときすでに遅しで、その結果過食となる。かくして私は成人病への王道を歩むことになったのである。
妻も時代体験を私と同一にするせいか食作法優雅とはいかず、速やかなるごと風のごとくである。下の娘が外での食事を嫌がるのは、欠食中年二人の一心不乱な食べぶりと、料理を待つ時間より食べる時間があまりにも短いアンバランスに呆れ返っているせいだろうと推察するのである。


1999年11月26日(金)

友人に自他ともに認めるワイン通がいる。彼と飲むには、半時間ほどワインに関する講釈を拝聴せねばその日のワインにありつけない。たかが混ぜもの入り安物を飲るのに、ブドウがどうの、産地がどうの、醸造法がどうのなどゴタクは不要だと思うのだ。がしかし、私は、気分よく薀蓄をかたむける友を思いやって、なるほどと感心した風であいづちを打ち続けるのである。
映画通、クラシック音楽通、コンピューター通など世の中に通人は多い。これを若い人はオタクと読み替えるが、年寄りはもう死語になった道楽という語を使う。
いずれにしても本業である仕事以外に、深い愛情を注ぐ趣味の分野があるということは、人生を幅広く生きたいという人にとって価値あるものである。
こうした趣味が、仕事をリタイアしたのちの長い余生を充実したものにすると説く識者も多い。仕事一筋のがんばるマンには、停年離婚が待っているよと脅かすのである。かくして是が非でも趣味を持たねばとの脅迫観念が真面目人間に芽生えることになる。
趣味は底が浅いものはすぐ飽きる。深いものは道険しく挫折する。結局、中途半端なところで妥協し、道を深めることよりも同行異人との交際のなかに楽しみを見出すことになる。すなわち群れるのである。突出した友は目障りで、拮抗する友は邪魔となる。人付き合いの良い半端人が趣味グループを形成する。師匠はやはり必要でこれは専門家をいただく。
人間は群れて生きていくのが本性だそうだ。その群れが、自由で楽しく、気が休まればそこに憩いたい。趣味というのは、自分の嗜好を具現化しているはずだから楽しくないはずはない。問題は群れにつきまとう人間関係という厄介な代物だ。
趣味の会のリーダーは、年長で、優柔不断で、腕は上の下か中の上で、人の好いだけの待ちの人が良い。趣味の会は、ばらばらでまとまらないのが良く、非効率なほど長くもつのである。到達目標が遠いほどいいのだから。
私には趣味というにはあまりにもお粗末な、時間つぶしの読書、映画などの安直な娯楽しかない。向上の道などないし、特に仲間も要らない。
友人と陶芸を15年ほど楽しんでいる妻は、「仕事を辞めても家にいないでくださいね、いるだけで邪魔なんですから」とつれない。かくして私は死ぬまで働かねばならない。会社がくるなといっても行かねばならない。だから私は趣味は仕事ですと言わねばならないのだ。


1999年11月29日(月)

沖縄の基地移転でもめている。賛成派、反対派それぞれ論理は明快である。素人目から見ても、どちらの言い分ももっともだ。したがって容易な決着は望めない。
最近、難しい問題が多い。本質が露出してくればくるほど一筋縄でいかぬ深いものがあることを知る。政治家に傑出した人格者はいないことは露呈したが、難しい問題に決着をつける勇気(蛮勇)はまだ望みたい。この時代、知性の人より決断の人が尊ばれるのかも知れない。
先日久しぶりにH氏から電話をいただいた。70歳になったそうだ。今度、県から永年のバスケットボール活動に対し表彰を受けた由である。国体やママさんバスケット指導などの貢献が認められたとのことで、来年は県の協会長に就任するとのことである。もちろん氏は学生時代バスケットの名選手だった。170センチにも満たない短躯でありながら、動きがすばらしかったらしい。
氏と私は大学の同窓である。そして卒業後ともに同じ会社に勤めた。専門は異なったため当初は職場は違ったが、その会社の研究所で一緒になった。氏が部長から所長に昇進したのは、私が会社を辞めた後であった。
氏は論理的で、話法も無駄のない要旨明瞭な知性の人である。荒削りな理想よりも、破綻のない推論を好む能吏派と言えるのかも知れない。役員確実と言われながら、その慎重な言辞の故か、定年を迎え子会社の開発担当役員に横滑りとなる。
氏のリードで開発に成功した商品が、工業技術院長賞や学会の賞を受けたにもかかわらず、ビジネスとして大きな果実にならなかったことが氏の評価を低くしたとも言える。
数年前、私の勤務する会社が東京都から補助金を受けてある商品を開発するとき、暇だからといって1年ほど片道2時間の通勤をものともせず助けてくれた。開発は結局失敗に終わったが、開発管理の手法については、係官より褒められた。
電話で氏は、最近先の会社の商品が脚光を浴びていることを語り、それは氏が開発を先導した2番目の商品であることを付け加えた。もう特許が来年に切れるほどの昔の技術だそうだ。開発者の冥利だよと嬉しそうだった。儲かったら何がしかのローヤルティが入る契約もあるのだそうだ。お金に困る氏ではないが、それは余計なものでもない。氏の上品に染め上がった白髪と温顔が浮かんできて懐かしい時間を共有することができた。氏は幸せな人だと思う。


1999年11月30日(火)

最近の若い人は本を読まないという。近くの大型書店の盛況ぶりを見ていると、本当かなと思うのだが、出版社側から言わせると間違いなく本離れが進んでいるのだという。本屋に行ってみると、むやみやたらと雑誌が多いのに驚く。写真ばかり多いビジュアル系だ。活字は確かに少ない。パソコンものからアダルト系まで種々雑多だ。
ちょっと覗いたアダルトものの過激さに、思わず心筋梗塞を誘発するのではと思うくらい驚いた。もはやチラリズムの仕掛けで春情をさそったエロチシズムは遠い過去のものだ。インターネットを含めて、こうした性の露出は子供たちにどんなインパクトを与えるのだろうか?
私の子供のころは、他にたいした娯楽もなかったせいか、本を読むことが推奨された。読書が教養主義の看板であった。文豪のめぼしい作品を読むことが、当時の教育的合意でもあった。ある作家が主張したように、「夏目漱石が本当に楽しめるのは社会人になってからですよ」にまったく同感で、当時の教育指導の間違いを痛感する。
中学生になって初めて父兄参観があった。一張羅を着た母も勇んでやってきた。
担任は中年の国語の先生で慣れたものだ。その日、菊池寛の小品を学習することになっていた。教師が菊地寛の作品を挙げているうち、ふと「恩讐の彼方に」を読んだ者がいるのかと尋ねたのだ。ひとりだけ手を挙げた私に、それはどんな内容かと聞いた。「市九郎というサムライがいて、ある亭主もちの女とできて、その亭主を殺し、そして女と逃げて...............」と、池波正太郎風時代劇にしてしまった私を見て教師も困ったようだ。頭に血が上っていた私は肝心なところを忘れている。
「君の話を聞くと、この話は女と逃げたという話だね.....?]、「その市九郎が出家し、村人のために洞窟を掘り、仇と狙って追いかけてきた子供と和解する話です」と言えたのは暫くしてからだった。母はその場から消え入りたかっただろう。同席した知人から「息子さん、難しい本を読んでいるんですね」と言われ、返事のしようがなかったと、あとから嘆いた。
菊池寛のこの小説は、「青の洞門」という子供向けの作品にリメークされおおいに読まれた。
教養主義の犠牲(?)となった小学生の私には、原作の”女と逐電”の話ばかりが心に残ったのだ。だから文豪の作品は大人になって読むべきものなのである。
それこそ本当にアダルト向けなのだから。


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