セルバイン105
特殊成分とポリマー保護膜のダブルプロテクト!!
■デイリーインプレッション:バックナンバー 2000/04/11〜2000/04/20
2000年04月[ /11日 /12日 /13日 /14日 /17日 /18日 /19日 /20日 ]

2000年04月11日(火)

いま新入社員の教育研修が真っ盛りだ。

街行く人のなかに、新入社員だろうなと思われる男女が混じっている。社会人になったばかりの初々しさは隠せないものだ。その初々しさは、私のようにいささかくたびれた中年男から見ると、まぶしくてかわいい。そして少しばかり羨望の気を起こさせるものだ。彼らには振り返る過去よりも、希望に輝く未来ばかりなのである。その未来が悲しくて厳しいものである、などと意地悪を言うのはやめておこう。そんなオヤジの老婆心は、実は若さへの嫉妬以外なにものでもありはしない。

ご多分に漏れずわが娘も連日新人研修を受けている。
昨日は頭の下げ方を勉強したとか、今日は名刺の出し方を練習したとか、ひと通りやっているらしい。親のしつけが不充分でも、会社がやってくれるわけで、ありがたい話だ。親への感謝の仕方や口の聞き方をぜひ特訓してほしいと思うのであるが、どうも会社の顧客ばかりが対象のようだ。こうして素直にひとの言うことを聞くときに、ぜひ親孝行の心得を説いてほしいと社長さんにでもメールを出そうとも考えたが、妻に止められた。あんたも父親としてもっと立派になってから言いな!と諭されたのである。

娘の話によると、敬語の使い方に新入社員はとまどうとのことである。例の「れる」言葉だ。可能の意味か、受身か、自発の意か尊敬か、迷うのだ。多用するとおかしな文になってしまう。教えるインストラクターに質問が殺到するそうだ。

日ごろからろくな言葉をしゃべっていない娘たちには早口ことばよりつらいらしい。赤ちゃん言葉のオノマトペ(擬声語)が形容詞や副詞の世代には大変なことだろう。「先生はじゃんじゃん教えるけど、私たちひーひーよ!」にはさもありなん。「チョウチョウきつかった!」にはもうお手上げだ。

会社人生は、集中的に授けられるこうしたマニュアルでずうと渡っていけるほど甘くはない。が最初のしつけはいつまでも心に残っていることも私の体験からして事実だ。どうせかたちだけをつくるだけのものであるが、そのかたちを無視してよいほどまだ世間はくだけてはいない。

娘がこの数日でらしくなりつつあると感じるのはこれまた親ばかチャリンか?


2000年04月12日(水)

ジンクスとかげん(験)を信じ込んでいる人がいる。

先のことを見通せないのが人間である。それを知りながら懸命に見ようとしているのも人間だ。およそ明日を考えない人はいないだろうと思う。
過去のよすがや現実の何かのしるしに未来の暗示があるかもしれない、と考えるのはそんな人間の哀しい抵抗だ。

久しぶりに米国人の友と会った。彼とは国は違っても生きてきた年代が重なるため共通の話題も多い。そしてこの話題になったのである。
レーガン元大統領の夫人が星占いに凝っていたことは米国人の間では有名なことらしい。大統領のいくつかの果敢な決断も、彼女の星占いに拠ったといううわさもささやかれていたそうだ。世界の大国がそんな迷信で動かされてよいものか?と彼をからかったら、日本人の血液型性格判断を引き合いに出してきた。これこそ迷信、誤信の最たるものと主張する。私は、もともとオーストリアの学者が広汎な疫学的調査をした上の論理的なものである、とどこかの週刊誌の3面記事で仕入れた知識で対抗したのである。さらに、私の勤務する会社は、この血液型が社員採用の際の適性判断の基準の中核をなし、しかも業務内容の適性評価にも考慮していると話したら、さすがに彼も唖然として「おーノウ」と言った。おまえは20世紀に生きているのか?と明らかにあきれ果てていた。

彼との会話はすこし大げさだが、正直に言っても、私はこの血液型分類をかなり信じているのである。特に短所をあげつらうときに重宝するのである。彼はA型だから腹黒いとか、B型の彼女は人のことなどお構いなしのゴーイングマイウェイだとか、二重人格の彼はAB型だとか、である。

血液型判断法を盲信しているのだから、いわゆるげんとかジンクスも気にする方だろう。通りがかりの神社やお寺には、すべてお賽銭を上げないと罰があたると考えるほどだ。日常の立ち居振舞いの順序を変えるときは、過去の失敗例を想起する癖もある。たとえば新聞を読んでからひげを剃ったら(いつもはひげが先である)、今日は医者に(毎月一回こわごわ行くのである)何か悪いこと宣告されるのでは、と思うのである。げに思い込みは恐ろしい。

米国の友人が、ところでおまえの血液型は?と尋ねてきた。待っていたとばかり、博愛主義で人の好いO型ですよ、とすまして答えてやった。ちなみにわが愛妻はご想像どおりB型であります。


2000年04月13日(木)

最近、手相による未来予見は当たるのではないかと考えている。

勤務する会社がある東京近郊の私鉄の駅前に、夕暮れになると一人の若い易者が店を出す。30代だろうと思われる若々しい顔に、威厳をつけるためか鼻下に一文字ひげをたくわえている。がしかし、どう見ても運命のご託宣を戴くほど信用できる風格は感じられない。失職中のアルバイトかとも想像しているのである。易者の言に20年保証も必要ないから、言いっぱなしでいいのは気楽だろう。
おそらくPL法も適用されまい。口先だけのいい商売だなと私は見ている。

私が生まれて初めて、そしてそれは一回きりだが、易者に手相を観てもらったのは大学1年生のときだった。同じアパートのマージャン仲間の一人と酒を飲みに行った帰りだった。二人ともほろ酔い気分だったろう。惜しげもなく観相に大枚をはたいたのだから、きっとマージャンで勝った後でもあったのだろう。

「あんたは几帳面でまじめだが、社長になれる器ではないな」、と私の手相を観た老易者は断定した。私の相棒はすでに、出世をして末は社長になる、と太鼓判を押されていた。当然私もそう言われるだろうと疑いもしなかったのに。易者という商売はコンサルタントと同じで、いろいろ途中経過の困難さを誇張するが、とどのつまり、頑張ればあなたも最後まで上り詰めることができると言うのがコツなのである。夢を持たさなければいけない。

「もし仮に、二人一緒の職場にあれば、あんたが専務でこちらが社長だ」とさらに断定するのである。金庫番で生きるのが私の宿命だというのだ。通っている大学の格は私の方がずっと上なのに、なぜ自分の方が出世できないのだ。日ごろの付き合いだって、どちらかと言えば主導権は私なのに、と正直言って安らかならざる気持ちだった。その夜私は屈辱の思いで帰宅したが、友ははしゃぎ通しだったのである。

それから40年近くの歳月が過ぎた。もうその易者の予言を総括しても良かろう。
考えてみれば、過去の大きな岐路で悩んだとき、浮かんできたのはあの日の易者の言葉だったように思う。囚われるのは愚かだと思いつつ、やはり気にしていた。

技術研究とか企画開発とか、どちらかといえば内向きの仕事が性に合っていたし、もっと人前で主張しなければ損をするよ、と忠告をしてくれた勤務先の外資系会社の社長の言もあった。それでもいくつかの山谷のあと、自分の好きな人のために己のささやかな能力を生かせればいい、と思いついてもう久しい。これは易者の予言通りではなかったかと思うのである。

好きな友3人と始めたビジネスで私は金庫番だと自負している。ただしお金は信用がないせいか扱わしてくれない。
あの日と相棒がその後社長になったのかは定かではない。


2000年04月14日(金)

妻も年をとったものだとつくづく思う。
普段、しげしげと顔など見たこともないのに、そのときは思わず凝視してしまった。
気功と太極拳を始めます、と宣言をしたのだ。意外と言うしかない。

10年ほど前、私がそれを始めたとき妻は、老人会の仲間入りかと嘲笑したものだ。彼女にとって、そうした一連の健康法はご老人の趣味という認識なのだ。
あのゆっくりした動きは、スポーツに程遠いものということらしい。

私がそれに熱中していたころ、たまに家で練習することがあった。動作の順序を覚えなくてはいけないし、カラダに覚えさせるためには繰り返し練習しかないのである。私の妖しげ(怪しげ?)な動きが、見ているだけでわけもなく恥ずかしいと、当惑感を示す妻であった。
黒い稽古着や白い正装着を注文で仕立てたときは、病膏肓に入ったわね、とあきれ返ったのである。そして、それらが一度も使われることもなく私が会を辞したときは、仲間にそれらを売りつけてすこしでも元を取り返せ、と毒づいたのである。しかし、一度も袖を通さないにしても、私の体に合わせた超特大のそれらは誰ももらってさえくれなかった。
そんなわけで、妻の中国健康法の毛嫌いは不変のものと思っていたのである。

親しい友が最近始めて、体にいいということで妻に勧めたらしい。花粉症で体調不良をかこっていた妻は、しぶしぶ彼女について行ったらしい。そしてその晩私に、始める、と宣言したのである。あれほど私の老人趣味をあざ笑ったのに、つゆほどの反省の色もなくである。女性の辞書に反省という言葉はないと改めて知った。

昨晩、風呂上りに牛乳を飲んでいると、妻がうつぶせになれと言う。その日習い覚えた指圧を施してあげるとのたまうのだ。よく聞くと、先生はまことに多彩な人らしく、気功と太極拳以外に柔軟体操から指圧まで教えてくれるのだそうだ。
主婦に教えるにはコストパフォーマンスの要求から種目を増やしているのかも知れない。いずれにしてもこんな有難い妻の申し出を断る夫はいない。あざができようが骨が折れようがである。人体実験もいつか快楽に変わるだろうと覚悟を決めた。

子供も巣立ち、私たち夫婦に静かな時間が訪れつつある。気がついてみたらお互い老人会の入り口に立っていた、というわけだ。軟式テニスで鳴らした妻はスポーツ好きの典型だった。その妻は太極拳をスポーツと認めるのだろうか?太極拳って格闘技なのよ、知ってた?と問う妻をあきれて見つめる元拳士なのである。


2000年04月17日(月)

今日はある恋の物語だ。

半年ほど前突然女性から電話があった。彼女は私の母の遠い親戚筋にあたる人で、もう50歳ぐらいになるだろうか。私の大学生時代、住まいが近かったこともあり、よく行き来をしたものだ。現在新潟に住んでいる。もう子供たちも家を離れ、夫婦二人だけの静かな生活なのよ、と落ち着いた主婦の声であった。そう言えば彼女の結婚式以来会っていないから、もう30年にもなるはずだ。
とりわけ用事があるようでもなく、こちらに来ることがあったら必ず連絡してねと彼女は電話を切った。

彼女の連れ合いは私が紹介し、一緒になったいきさつがある。彼とは、私が学校を出て初めて配属されたコンクリート製品工場時代の知り合いだった。大手セメント会社から生コン工場に出向していた彼と仕事を通じ親しくなった。冗談半分のマッチメイクだったが、熱心な彼の求愛に、若いからと渋っていた彼女が根負けした格好だった。たしかに彼女は18歳の若さだった。

彼女の父は印刷会社を経営していて、それまで羽振りが良かったが、愛人がいたり、事業も急にうまく行かなくなったりで、彼女が高校に進むころには両親が離婚をしていたのである。引き取った弟や妹を養うため母親と共に稼がねばならず高校も休学していた。その頃出入りしていた私は、時折勉強を見てやったのである。彼女はお嬢様芸として子供の頃から習っていた日本舞踊を生活の糧としていた。弟子を取って月謝で稼ぐというより、舞台やクラブのダンサーである。

電話があって1ヶ月後、偶然彼女の連れ合いに依頼する仕事ができた。そして新潟を訪れた私は30年ぶりに二人に再会したのである。日本料理でもてなしてくれた後、彼らは行きつけのスナックに私を案内した。

「あなたは私の初恋の人だったの、あなたのお母さんが息子の嫁にって言ってくれたの、あなただって知っていたでしょ?」。確かに亡くなった母は人一倍彼女が気に入っていた。そしてそんな話もあった。私も仄かな気持ちは........。

「あなたが彼を紹介したとき、冗談だと思ったの。そしてあなたにその気がないと分かったとき、私は決めたの。」傍で彼はニコニコして聞いている。何もかも承知らしい。なぜいまさらこんなことを言うのだろう?青春の想い出は秘めるほど甘美なのに。同座するホステスは言葉もない。私は落ち着かぬ一時を過ごした。

結局彼女のいまさらの告白に解せぬまま新潟を去った。子育てが済んで、二人だけの生活が始まったとき何かが彼女の心にはじけたとでも言うのか?

もし、遠い昔のあの時、彼女がこれ見よがしに彼と楽しそうに語ることもなく、私に素直に思いをぶつけてくれたら、否!私が彼女の心を知っていたならば、その後の人生は大きく変わっていたに違いない。これが縁というものなのだろうか?

人生の「もし」は甘美で切ない。そして演歌「新潟ブルース」が特別の歌になった。


2000年04月18日(火)

インターネットを使えないと生き残ってはいけないと騒がれている。

学生の求職にはネットが必須だ。大手企業がそれ以外受け付けないと新聞情報にあった。学校でばかりアクセスするわけにもいかないから、個人でパソコンや携帯端末を所有する必要がある。かく言う情報リテラシイの差は、実は学生のフトコロ具合の差である。学生も楽ではないと思う。

わが妻の情報リテラシイの程度は、言うならば文盲に近いだろう。ネット通販と電話ショッピングの区別がつかず、パソコンとサーバーの差は分からない。インタネットがどうして便利なの?と根本的な疑問を持ちつづけている。
娘が、友達と連絡し合うときメールが便利なの、とか、調べモノをするとき重宝なのよ、にどうしても納得できないようだ。私が、買い物も居ながらできるんだ!、と重ねても、どうしてそれが便利なの、と腑に落ちそうもない。

友達と好きなときに話もできるし会えるしさ、買い物は店に行くから楽しいんだ。
歩くことは健康にも良いしね。と妻は自分の日常生活から逸脱しないプラグマチストだ。調べモノはすぐ見つからないのも楽しいものよ、と一層かたくなである。

私と娘はインターネット業界の回し者でもないから、それ以上並べたてるのを止めた。別に自分の趣味や仕事のやり方を妻に納得させる必要もないか。
家には大小、新旧合わせて4台のパソコンがあり、普段から小言を言われている身にすれば、すこしその正当化をしておこうかという下心はあった。がしかしあえなく挫折した。

実は私も10年ほど前まで、パソコンに対して妻と同じ風だった。いわゆるキーボードアレルギーである。それが変わったのはT君のおかげだ。

年若いT君とは、彼のお姉さんの友達が私の知り合いだったことから始まった。東大を出て塾の教師をしていた彼を、半ば強引に口説いてコンピューターシミュレーションの会社を共同で創ったのだ。そして彼からパソコンの手ほどきを受けたのである。マックを愛する彼に忠節を尽くして、つい2,3年前までは人に会えば、マックを薦めていたのである。彼の忠告は、説明書なんか読むと返って分からなくなるから、手を先に動かした方が良いですよ、であった。以来パソコンに関しては本を読まず、つまづいたら彼に聞いたのである。
これが中年男の遅れた学習にどれだけ救いになったか。

彼はいま私のところからインターネットの世界へ巣立っている。いつまでも業界にこだわる私から、一回り大きな世界に飛び立っていった。
俊英T君の不肖の弟子は、かくして業界ネットに駄文を書いているのである。情報文盲をかろうじて避けられた私は、心からそれを師に感謝するのである。

しかるに私は、頑固蒙昧の妻のパソコンの師には、出家でもしなければ到底なれそうもない。


2000年04月19日(水)

今週は気の重い週だ。

娘が先週末を最後に家を去った。新入社員全員での研修は家から通っていたが、いよいよ職場での見習いが始まり、田舎町の場末に構えた小さな孤城に嬉々として移っていった。子にとって親は一度は捨てていくものというが............。

私の長兄が小渕さんになった、と日曜日の夕刻、姉から電話があった。千葉に住む70歳の兄のことだ。日ごろから高血圧、糖尿病と小渕さんと同様だった。脳梗塞をおこしたの、と平静な姉の声だ。すぐにどうこうという話でもなさそうだが、今週中に見舞いに行くと返事をした。

月曜日に会社に出ると、仙台の関連する会社の社長のお父さんが亡くなられたとFAXが入った。盛岡での告別式に急遽出席することになる。
どうも今週はついてない週のようだ。

週末に妻と入院中の兄を見舞うことにしている。どんな兄に会うことになるのか少し不安である。私と違い丸々肥えた兄はよくしゃべる快活な人だが。

兄は父の先妻の子である。先妻が二人の子のうち、兄を残し姉を連れて父の元を去ったとき、兄の心は深く傷ついたらしい。兄は後年私に、母親は自分を捨てた、と寂しげに語ったことがある。父は、裁判の末、その妹も取り返して一緒に住むことになるが、兄の母親への思いは屈折したままのようだ。
後妻に入った私の母は、次兄と私をもうけることになる。それは母の長い苦闘の始まりでもあった。わけ隔てなく育てたつもりだったろうが、分かり合えないのもまた悲しい人間の業だ。どうしようもないこともある。
兄は赤子の私を負ぶって毎日遊びに出かけたことを昔よく話した。おまえのお袋はオレをいじめたのだ、と半分本気で主張した。「おまえのお袋」の言葉を聞くたび母も救われないな、と感じたものだ。

歳月は人を穏やかにする。子を持ち育て、人生はそんなに思い通りにいかないことを知り、そして何より自分自身が愚かであることが分かってくるからだろうか?
諦観が心の大部分を支配するような年齢になったとき、人は寛容になる。しかしそのときはいつも遅い。かくして母は兄と分かり合えないまま逝った。

しかし、私は兄が好きだ。逆境の中でも懸命に生きてきたと思う。上長であった父に職場を解雇され、発奮して中学教員となった。職場結婚した教員の妻が交通事故で障害者となってから家事をもこなした。教員を退職して企業の営業職に転換したのには驚いたが、無事勤め上げた。さらに最近まで何がしらの職を得ていたらしい。私は、兄が7年前に私の家を訪ねてくれて以来会っていない。かわいげのない弟なのである。気持ちは通じていると勝手に解釈しているが。

週末、兄は久しぶりの私を判ってくれるだろうか?


2000年04月20日(木)

FENというラジオ放送がある。極東駐留軍放送というヤツだ。
東京圏以外やっているのか知らない。

私はこれを毎晩聞く。眠り導入のナイトキャップの代わりだ。
本来の目的は米語のヒアリング学習だったが、4、50%の聞き取り能力で止まって以来、残りの50%は睡眠の呪文から抜け出せない。どうやら私の英語脳の限界はこの辺りだとあきらめている。

時折、人生の無情を嘆くことがあり、この強力な睡眠誘導機のささやきも効果のないときがある。そんなとき幼児が難解な政治家先生の演説を聴くごとく、私は異国の人の話を聞くのである。夢うつつの中で30%も判るかという程度は、かの幼児より程度が悪いのかも知れない。

カートークという番組によく当たるから、それは頻繁に放送しているのだろう。
まったく日本では考えられない番組だ。
二人の車の専門家兄弟が、聴取者の質問にジョークをまじえて楽しく答えていく。
質問者は老若男女いろいろで、質問は車のメカのことだ。エンジンから足回りまでみんな修理工ではないかと思うほど専門的なのである。そして車種についてはこれまたいろいろで、意外にトラックやバンが多いことと、日本のトヨタやホンダがポピュラーなのに驚く。
考えてみれば、米国は自分で何でもやる国だ。一度訪ねた日曜大工の店の品揃えとスケールには度肝を抜かれたことがある。他人を頼まず自分で済ます癖は、開拓時代の名残だろうと一人ごちるのであるが真相はいかに?

米国で車を持ったという上の娘はどんな修理工に変身しているのだろうか。中古を買ったというから、エンコとの戦いの日々であろうに。日本にいたときおよそメカと縁がなかった娘に、ぜひこの放送を聞いて勉強してもらいたいと願う心配性のオヤジである。ほっといて、と迷惑そうな娘の顔が見えるが。

車のメカについて多くの日本人は無知であろう。ガソリンスタンドや修理工場でほとんど済ませてしまうから勉強の必要がないのである。無人のスタンドが許可になったはずなのに一向に流行る気配はない。我々は、実はガソリンを買っているのではなく、サービスを買っていることが実証されたようなものだ。
すべからく日本人は商品と一緒に拒否できない付帯サービスを買っている。そしてそれが高コストに繋がるというわけだ。付帯サービスを取れば物の値段は一緒という説には一理ある。コミコミがいいことか悪いことか私には分からない。

車を新しくして2年、その間、自分でオイルをチェックしたのはたった一度。ブレーキオイル、ラジエータ液、洗浄液も一度。私が横着になったのか、車が良くなったのか、それとも車やのサービスが優れているのか?

ちなみにこの2年、事故もたった一度!の衝突で済んでます!はい。


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