■亀の子コンクリート考
第八回:由って来るところを知ることは楽しい 小林 映章

20世紀締めくくりの年が始まった。20世紀後半は科学技術がヒトという生物の持つ時間とは無関係に、猛烈な速さで発展してきた。筆者のように何でも手作りでやってきた者にとってはまさに脅威である。

現在はブラックボックスの時代である。パソコンを使いながらいつも感じることは、我々が完全なブラックボックスを道具にして重要な情報を出し入れし、それを信じて疑わないことである。出し入れした情報から得られる結果を我々が正確に判断できる場合、例えばワープロとして使うような場合は問題はなかろう。複雑な計算のようなものは信じるしかない。多くの分析機器などもコンピュータ内蔵で、サンプルを入れると数字が打ち出されてくる。その数値の意味も、信頼性も、お構いなしに数値だけが独り歩きしてしまう。

現在の医療分野での検査も上と同様に検査結果のみが独り歩きすることがあると聞いている。経験の浅い医師は患者の実態を判断できず、検査結果のみに頼ることになる。苦しんでいる患者がいることを知ろうとしないことさえある。

もちろん高度情報社会に生きる我々としては、何もかも知ることなど出来るはずがないし、ブラックボックス内で処理される結果を信頼し、その恩恵を受けて生活しなければならない。
しかし時々は我々の生活の中に現れることを、簡単なことでもよいから、少しは穿ってみることも楽しいし、そういうことが習慣になればもっと大きな事を判断できるようになるかも知れない。事柄は小さくてよいし、小さなことが判からないのに大きなことが判るはずはあるまい。

何でもやってもらえる時代ではあるが、時々日曜大工をやる人も多いと思う。日曜大工では木を釘で打ち付けることもあるが、物によっては接着剤(木工ボンド)で貼り付けてしまう方が簡単である。またブロック塀の壊れたところを自分でモルタル(セメントと砂が混合された家庭用モルタル)で修理することもある。このようなものを使っていて面白いのは、木工ボンドの使用法には、
「汚れを落として、乾かした接着面に均一に塗り、すぐにはり合わせて………」
と書かれている。一方家庭用セメント(モルタル)の使用法には、
「………下地の汚れ、ちり、ほこり等を清浄して、適度な打ち水をしてください」
と書かれている。

両方とも水に懸濁させた接着剤(材)を使っているのに、一方は被着面をよく乾かし、他方は被着面に十分水を吸収させておくことが強い結合を速く作るために必要である。何故違うやり方をしなければいけないのか、その理由を知ろうとせず、物が違うのだから当然だと言ってしまっては面白くない。こような簡単なことでもその理由をちょっと知るだけでも楽しいし、知ろうとする姿勢が大小の問題解決や、将来の発展につながるかも知れない。今年は登り竜の年、いまは小さいことをやっていても、それを超えて21世紀に羽ばたきたいものである。


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