■浮遊児のコラム「月と太陽の旅」
第1回 『地球の最期』

 三寒四温が似合う季節に、今年度の新企画として、セルテック株式会社小河会長よりコラムを依頼された。すぐさま「テーマは地球環境にしよう」と頭の中で閃いた。
 今まで多くのすばらしいコラムを書かれてきた会長から、直々に依頼されたとあっては、断る理由が見当たらない。(私も読者として楽しませていただいたので)ここは、快く楽しんで書かせていただくことにしようと思う。
 実際、地球環境といったテーマは、とてつもなく大きなテーマであるので、どこまでいけばいいものやら、それは走りながら考えていこうと思う。
 今の時代、止まって考える時間などなかなか作れないのだ。
 私の経歴をざっくり述べると、福祉系の大学を卒業後、医療ソーシャルワーカーとして病院に勤務し、やがては中学生の頃からの夢であったシンガーソングライターを捨てきれずにロックバンドなるものを結成し、某レコード会社と契約した。ところが、月給5万では生活できず、アートプランという美術彫刻の会社にお世話になる。そのかたわら、作詞、作曲家として仕事を請けるようになり、現在2足のわらじをはいているのである。

 さて、本題の地球環境について。
 今から10年程前のある晩、ソファーにもたれてテレビをつけると、荒れ果てた海の映像が私を釘付けにした。ゆったりとしたBGMをバックに、ナレーターはたんたんとした口調で『地球は、今現在でも海洋汚染が進んでいるのである』と語っていた。
 中でも、マヨネーズのキャップを背追っていたヤドカリの映像を見て、心がひどく痛んだのを記憶している。たしかドキュメンタリー番組『地球の最期』という番組であった。
 当時その番組に共感して、作詞し自身のバンドで歌っていたものだ。
 ちなみにタイトルは『ナチュラリスト』。
 まだ若かった私には、ただ自然主義者を気取って『環境破壊することすべては悪』と決めつけていたのである。環境問題について多くの書物を読んでは、いろんな人達と議論したものだ。
 今日、我々を取り巻く社会には、環境、癒し、地球に優しい、自然を愛する、などと溢れんばかりの言葉を目にする。『バブル経済』の20世紀にはほとんど見向きもされなかった『環境問題』が、21世紀の主役に躍り出たのである。
 現在では、多くの企業、官公庁がこぞって環境を問題にした理念、政策をかかげ、地球に優しい商品作りに取り組みだしている。よりグローバル化した大義名分に対して果たして地球の未来はあるのだろうか?

 『最初の1日か2日は、みんなが自分の国を指差した
  3日目、4日目にはそれぞれ自分の大陸を指差した
  5日目には、私達の念頭にはたったひとつの地球しかなかった』
 これは宇宙飛行士 スタルヒン ビン サルマン アル=サウド の言葉である。

 もしかしたら、未来の宇宙飛行士は、『むかしたったひとつの地球は、ここにあったのです』と指差しているのかも知れない。
 私個人としては、人間中心の発想にはほとほと限界を感じてきている。
 自転している地球上に住みついてしまった我々人間が、ようやく環境と経済=eco-economyについて、少しずつ主導権を地球に譲りはじめたのだと考える今日この頃である。

浮遊児


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