■私の“プロジェクトX”「無騒音工場への挑戦」
本社への技術移植 高木 利彦

 日工電子工業が画期的な操作盤のプロットタイプが出来たと言うことで、三重工場で実際に稼働させてもらえないかと当時の日工電子社長と吉田氏の意向を受けて、おもしろいし興味があるからと二つ返事で受けたのですが、丸高社以外の人には見せてほしくないとのことで事務所内に鍵をつけた操作盤室を作成して欲しいとか(一部の社員にしか出入り出来なかった)、操作盤のリモートメンテナンスの実験をするためにISDN回線を引いてくれとか、当時まだISDN回線がでたばかりでめずらしく、吉田氏の要望のレベルを理解するコンクリート会社は丸高社しかなかったのじゃ無いかと今でも思います。

 この操作盤も最初稼働させるときに2日間くらい事務所で日工電子工業社と丸高社の携わった人員は寝ずに作業していたように思います。

 それでもパソコンを使用したというかパソコンを操作盤にしてしまった、全く新しい操作盤がうまく稼働したのもあって、本社でも高流動コンクリートへの移行をする為にプラントを新設が計画され実行されたのはこの時期だったと思います。

 そのころには高流動コンクリートに対しての認識とか取り扱い方法も社内においてある程度確立されていたこともあって、スムーズに移行できました。


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