■夢追人のコラム:1999年11月30日号
No.07:激減する建設投資にどう対応していったらいいのか? 夢追人

11月23日付け日本経済新聞に、主要建設会社15社の今年度上半期受注高実績(減少率は最小社で0.5%、最大社で31.1%)と下半期の各社の受注予測が掲載されていた。併せてモルガンスタンレー証券アナリスト高木敦氏の「5年後の建設投資は現在の6割強に減少する」との厳しい見解が示されていた。
氏の予測の背景には、日本の国内事情のみならず、世界の政治動向、宗教・民族間の紛争、気象環境の変化、科学技術の進歩なども加味された確度の高い情報に拠るものと判断され、信頼性は高いと思われる。それにしてもこの6割強という数字は衝撃的である。

既に建設市場のパイが縮小し、不況と格闘している現在の我々は、市場規模が40%も減少するといわれるその状況にどう対処したらいいのだろうか?この難問を切り抜けなければ間違いなく未来がないのである。
考えてみれば、コンクリート製品業界は、戦後に形造られた歴史の浅い業種・業界である。戦災復興、高度成長に合わせたインフラ整備など公共事業投資と民間設備投資による恩恵をフルに受け、大きな資本や特殊な技術がなくとも容易に参入できた業界であった。さらに、他の産業と著しく異なる点は、全国区の大手メーカーと中小の地場メーカーとの技術開発能力に関し、大きな差が見られないことである。強いて違いを挙げれば、政治との関わり合いの形態と強弱であろう。
永年この業界に身を置き、それなりの体験や見聞を得た私も、他の同業者と同様、この業界がユーザーである建設業者から高い評価を受けているとはとても思えない。

ユーザー側から見れば、コンクリート製品は、「何でも」、「何時でも」、「どこでも」、「思い通りの価格」で入手できるコンビニエンスさが第一で、製品の高い目的性、機能性、耐久性など軽視し勝ちであった。一方メーカーも、安価な土地と、簡易な設備と単純労働力さえ確保すれば生産でき、必ず売れた。万が一売れ残ったとしても翌年には在庫を掃くことができた。目先のきいた経営者は各地に工場をつくり、容易に売上を増大させ、利益を得ることが可能な時代がつい最近まで続いたのである。その間、真の技術力による競争はなく、技術開発に人、金、時間を投入することは経済合理性に沿わないとの思想が経営者の常識になってしまったのである。

今、戦後のインフラ形成を建設材料面から支えた一世経営者も次々と去り、新しい世代が引き継ぎつつある。彼らは新しい感覚のもと、意欲的に技術開発に取り組み始めたように見える。が、しかし、問題は自分で本当に汗を流してやっていないことなのである。セメントメーカーや混和剤メーカーに開発研究を委託し、時には共同開発という名目で労役まで依存することが多い。さらに頭脳の中枢までパートナーに頼る例さえある。いくらアウトソーシングが時代の風潮といえども、これで自社に技術の根が残るのだろうか?

5年後の40%減建設市場に生き残るためには何を為すべきかと問われれば、多くの人が技術開発と答えるだろう。しかし根のない所に、木は生えてこないのである。技術開発は生易しいものではないのだ。企業の存在目的にまで遡った理念がなければ、技術開発の方向性など出てくるものではない。まして技術者個人の意欲や必要性に起因する商品など生まれてくるものではない。

他社からの導入技術による商品や工法という便法もあるが、これは技術の真贋を判別する厄介な作業が必要である。今年5月に再度特許法の改正があり、特許侵害のペナルティが従前に比較して極めて厳しくなった。安易に他社技術を導入し係争に巻き込まれて痛い目に合うどころか、企業の存続を危うくする恐れさえあるのである。

技術開発のターゲットとして、差別化戦略としての商品開発や工法開発もあるが、同時にコスト、品質、納期を決定付ける生産技術、生産管理技術の改良開発が重要であると思う。前述した通り、ユーザーである建設会社の多くが求めるものがコンクリート製品のコンビニ商品化であることを考えると当然であろう。
これは自社内の開発能力、技術の真贋判断、特許戦略などが要求されることとなり、その精度とスピードが不可欠となるのである。そしてこれは技術者の仕事にとどまることなく、経営者の責任と義務なのである。


前のページへ目次のページへ次のページへ