楽器シリーズ第三弾で,そして最終弾である。
私のもっとも愛するスチールギターを取り上げることにしよう。
ウクレレ、ギターは人様のものを借用して自分のものにしてしまった後ろめたさがある。一方、スチールギターは私のものはあるのだが............。
ここで言うスチールギターは、ハワイアンやウエスタン音楽で使われる、真鍮のバーで弦を押さえ、爪ではじく西洋版の大正琴のことだ。ムード歌謡で一世を風靡したマヒナスターズの和田弘が弾く楽器でもある。我々にはバッキー白片か大橋節夫の方が通りはいいのだが。そして、もうこの楽器はほとんど聞かれなくなってしまった。このやわらかで引きずるような、すすり泣くような音色に、私は若いころからのめりこんできた。いまでもこの音色が好きでたまらない。
米国のフェンダーというブランドがスチールギターでは最高とされる。当時、お金がなかった私は、とうとうこの名品が買えなかった。国産のまったくの安物を手に入れたが、明らかにいい音が出ない。腕が悪いからなおさらであった。もっともこの商品のマーケットは小さかったから、買いたいと思っても国産品にいいモノがあるはずがなかった。
学生時代、ハワイアンバンドを結成したとき、肝心のスチールギターを弾いたのは一年後輩のI君である。彼は、当時国産品としては例外中の逸品といわれたコロンビアの高級品をすでに手に入れていた。それはプロの何人かが使っているほどで、確かにいい音色の名品だった。
バッキー白片に心酔していた彼は、調弦も奏法も、さらにアドリブまでも彼のマネしたのである。そして私は、そばでサイドギターを弾きながら彼の演奏法を盗み見て、そのすこしばかりを自分のものとしたのである。
会社に入ってバンドを結成したとき、どうしても彼のスチールギターが欲しかった。しかし、音楽を止めたはずの彼は、どうしてもそばに置いておきたいので売らないと言う。結局、パーティーや発表会があるときだけ借用したのである。面倒だと思いつつも、気に入った音色や慣れた扱いを捨てられず、最後まで彼の楽器を借用することになった。一番親しんで、愛した楽器が自分のものはでなく、手元にも置いておけなかったという悲しい話だ。
I君はいま全日空の機長である。学校を卒業して2年ほど建設コンサルに勤めたのち、大きく方向転回した。水産大学でやはりハワイアンバンドをやっていた彼のお兄さんは船乗りになっている。ふたりとも夢の島「ハワイ」に憧れて手っ取り早い職業!に就いたのかもしれない。ちなみに私が初めてハワイを訪れたのは、学校を卒業して20年目だ。南国のパラダイスまでは遠かったのである。
というわけで、私のスチールギターは今いずこ?なのである。しかし、今もときどき、私は夢の中であの頃の演奏をしている。白く輝くあのスチールギターが忘れずに会いに来てくれるのだ。それは昔の恋人に出会うようで、甘酸っぱく懐かしい。その音色はむせび泣くようで、若い日の感傷そのものである。
私は確かに、心の中にあのスチールギターを保管している。
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