■亀の子コンクリート考
第三十五回:ときどき立ち止まってみよう —子孫にツケを回さないようにしよう— 小林 映章

われわれは、地球という宇宙からみると実にちっぽけな壊れやすい世界に住んでいる。人類はこの地球上に住むようになってから、他の生物や無生物に比べて危険な性質を身に付けてしまった。それも文明人といわれる集団ほど危険で、無鉄砲で、容赦なく自己破滅へと突き進んでいるように見える。

イギリスの気象学者で L.F.リチャードソンという人がいた。彼は戦争に興味を持ち、その原因を知りたいと考えた。彼によると、戦争と気象は知的に類似し、どちらも複雑で残酷な力を持っているが、どちらも理解し、制御することができる自然現象である。気象を理解するには大量の気象データを集め、気象が実際にどう変化するかを見つけなければならないが、戦争を理解するやり方も同じに違いないと彼は考えた。そこで彼はこの地球上で1820年から1945年までに起こった数百回の戦争についてデータを集めた。彼の集めたデータは彼の死後「致命的な争いの統計」という題の書物として出版された。

彼は特定の数の犠牲者が出るような戦争が何年おきに起きるかを調べた。10人の犠牲者が出る戦争が起きる間隔をt年とし、Mとtの関係をグラフに画き、そのグラフから両者の関係を読みとると下表のようになる。

M 10
T 5分 1ヶ月 1.5年 5年 20年 45年 100年 500年

人が1人死ぬような喧嘩は5分に一回起きる。M = 3、つまり千人の人が死ぬような小競り合いは1ヶ月に一回起きる。M = 6、すなわち百万人の人が殺されるような戦争は20年に一回起きる。第2次世界大戦はM = 7.7の規模で約5千万人が殺された。近い将来に世界の人口が百億人になるとすると、人類が皆殺しになるような戦争(M = 10)は500年後ということになる。殺される人が多いほど、つまりその争いが大規模になるほど、それは起きにくくなる。小雨は頻繁に降るが、猛烈な台風はめったにはやってこないことと似ている。

上記のような関係は建設の分野でも見出せる。犬小屋は1日、一戸建ての家は2,3ヶ月、マンションは1,2年で出来るが、新幹線や高速道路の建設には数十年を要する。ここでは、建設の規模として物量を考えることができる。建設分野の専門家あるいは経済の専門家であれば、建設の規模とその規模の建設が実行される間隔の関係を定量的に算出することができると思う。

ここで重要なことは、戦争が人々の個人的な要望や意志とは無関係に、遺伝子に刷り込まれた、人間の攻撃性や外部の人に対する敵意、あるいは指導者に盲目的に従う性質や自己の宗教に対する盲信性などにより、集団の動かし難い意志として起きているように、建設プロジェクトも必ずしも社会の要望に従って推進されているわけではないことである。

新幹線や高速道路の建設、あるいは日本の特定地域に対する国家予算の注入などからも分かるように、それらが全て社会の適正な要望に従って推進されているとは言えず、多くは必ずと言っていいほど起きる特定の地域の人たちの勘違いによる要望や、政治、経済、名誉といったものに対して特別関心の強い人達の行動に引きずられて、あたかも集団全体の意志であるかのように進行している。すなわち、適正な建設プロジェクトが計画的に進められれば健全な社会が築かれていくが、上記のような、無形の社会集団の意志により歯止め無くプロジェクトが進行すると先のバブルの崩壊のように、人々の生活を脅かす不連続点が現れる恐れがある。

戦争に突入するときがそうであるように、現在に住んで現在行われていることを適切に判断することは非常に難しい。ときどき立ち止まって全体を見つめ直すことが必要である。政権が変わるとか、石油の値段が一時高騰するとか、あるいは好ましくはないが、ある規模の天災がやってきて我々に反省の材料と時間を与えてくれることが必要かも知れない。


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