最初の会社を定年で辞めて、第二の人生を歩み出しているH氏とM氏の二人がそろって会社を訪ねてきた。二人は現在の仕事で何か関係しているらしい。
65歳のH氏と62歳のM氏と私との会話では、落ち着くところは老後の人生に関する話になる。「あなたもすこし遊びなさいよ!」と、H氏は私にハッパをかける。「趣味がないと老後は辛いよ」とけしかける。ゴルフを趣味とする彼は、私が勤務する会社で、バブル期のころ顧客から脅迫まがいで買わされたグアムのゴルフ場でもう何回かプレーしている。それにひきかえ私はグアムに一度も行ったこともない。ゴルフもやめ、夜の巷にもご縁がなくなって久しい私を彼はあざ笑うのだ。
H氏はある道路ゼネコンの部長であった。商品を売り込みにいって以来、交遊を重ねもう20年以上になる。世話をしたりされたりで友情が続いてきた。技術士の資格を持つ彼はそれを売り物に、中国地方のコンサル会社の役員に納まり、月の半分ほどそちらに新聞だけ読みにいくそうだ。給料は驚くほど高い。資格がものをいう好例だ。豊かな老後をすごしているせいか、最近の彼は特に鼻息があらい。信じ込んでいる人生訓の強調も声音が高い。
一方のM氏は、大阪系の専門商社を60歳で身を引いた。専務という番頭格であったが、息子が社長を襲うので旧世代は邪魔になったようだ。退職後重病を得てつい最近ある小社の顧問として復帰したばかりだ。今は往年の手八丁口八丁の大阪商人の彼ではない。「ぼちぼちです」と、おだやかな口調だ。彼とはH氏の紹介で知り合ったが、その紹介者よりも気が合い、酒好きの彼とは一時期頻繁に杯を交わしたものだ。週3日ほど職場に通うとのことである。それぞれの人生を一応外見上知り合っている3人の間には遠慮がない。勝手にくさして、そして励まして楽しい時間を過ごした。両氏は形はちがうもまあまあ満足なシニアライフか、とひとりごちたのである。
家に帰って妻に、二人の話をしたあと、私も早めにリタイアを、と口をすべらしたら、「親離れをしない娘がふたりもいることを忘れないでくださいね」と、きつい口調であった。やれやれ!
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