■デイリーインプレッション:バックナンバー 2000/02/21~2000/02/29
2000年02月[ /21日 /22日 /23日 /24日 /25日 /28日 /29日 ]

2000年02月21日(月)

最近、石原東京都知事の動きが注目を集めている。外形標準課税を銀行に絞った新税が特に議論を引き起こした。喝采を叫ぶ人から、大向こう受けをねらったスタンドプレーと皮肉な評価をする人などさまざまだ。大方は、公的な資金を入れ、特別面倒見ているのに、ぬくぬくと高給を得て、しかも税金をろくに払わない銀行はけしからんという庶民感情が根底にあると思われる。日本は「嫉妬の経済」で成り立つといわれるが、まさにその通りだと思う。階級のないしかも均質層が大部分を占める社会は、小さな嫉妬があちこちにうごめく。それがダイナミズムを生み出す原動力でもあるのだが。隣の家がトヨタのクラウンにしたから、うちは日産のセドリックにしようか、などと消費も弾むのである。状況が近い人ほど競争心が湧き嫉妬が生じる。
石原慎太郎は小説「太陽の季節」で鮮烈なデビューをした。その映画にも出た弟裕次郎と共に、新しい感覚を時代に吹き込んだのである。以来氏は、国民へのメッセージを小説だけに拘らず広く機会を求めてきたように思う。彼には、時代や国民に影響を与えたという自負もあるだろうし、今も信奉されているという確信もあろう。ここが均質層の中で嫉妬や競争をうまく潜り抜け、バランス感覚(関係者だけの)だけが磨かれた指導者と異なるところだろうと思う。
慎太郎氏の頭の中は、国民の存在が大きい想像するのである。自分を支えている人が誰かということをよく知っている。
氏が対象とする国民が多様化していることと、行政が化け物のような組織とその調整の上に成り立っていることが、氏のこれからの真価を問うことになると思う。
彼の歯切れの良さは確かに国民の一種のカタルシスとなりつつある。しかし政界こそ嫉妬うごめく魑魅魍魎の世界とか。ここに再び太陽族の出現なるか?である。
自称元太陽族の私は、あっちもこっちも「しがらみ」だらけで、身動き取れない。


2000年02月22日(火)

性格がいい、とか素直だ、という評価ほどあてにならないものはない。
こういう場合は、評価する側にとって都合がいいか、言いなりかという意味に感じ取らなければならない。およそ人間と生まれたからには、性格に良し悪しはなく、ただその個性の他者による受容度の違いがあるだけである。自分の性格が他人に受け入れられる度合いが大きいほど、性格がいいとされる。そしてその評価を得るために偽善的な態度をとったり、さらに、高度なテクニックとして偽悪的な言動も使ったりもするのである。そして、長い付き合いのなかで、こうした表面だけのレトリックは剥げ落ち、性格という個性が露出するのだ。
「性格がわるい」、「こせこせしている」、「陰日なたがある」、「粗暴な子」、「人が見ていないところでは何をやるかわからない子」などなど。これは、新潟の女子監禁犯人や京都の小学生殺害の自殺容疑者ではない。何を隠そう、私の小学校1,2年生の通知表に書かれている担任の評価なのだ。私の父母が、これを見てどんなに私の将来を心配したか想像できよう。
いま考えると、当時、先妻の子供達と母との激しい葛藤にゆれる我が家の重苦しい雰囲気が、私の性格に深い影を落としていたのでは、と思う。「勉強を強制されるのはどうか?」とも書かれていて、そのころの私の父母の子達への教育の性急さも感じさせる先生評だ。事実、私の同腹の兄は親の教育観念の過剰により、今で言う自閉症となり登校拒否を繰り返す。兄の中学卒業まで母の苦闘は続いた。
私を酷評したその小学校の教師以来、大学までいい教師(もちろん自分にとって)に出会えたという思いはない。私は常に教師にとっていい生徒ではなかったからだ。そしてあまりにも授業の欠席が多かった。
自分の子供達をりっぱに育てようと思うのは、多くは自分がそうでなかったから、の代償行為である。自分より良い人生を子供達に送らせたいと思うのが人情というものだろう。私ももちろん例外ではない。
そして、こうした思いが子供たちを甘やかせ増長させるのである。独り立ちできない子供をつくるのだ。時の人石原慎太郎都知事が昔言った、「子を育てたいと思ったら、親は夭折するにかぎる」、は我田引水(彼が大学のとき父親が急死)の気味もあるが、一理ある。
ますます日本人は長生きし、ますます子等は堕落する。という図式である。


2000年02月23日(水)

私の友人で一部上場会社の社長でもあるA氏は2年ほど前に奥さんを亡くされた。
その数年前より、手遅れの乳がんで残りの寿命も限られたものだ、ということは彼から聞いていたので意外感は少なかった。が、やはり衝撃感はあった。
最後の入院の半年間、彼は献身的な看護をした。午前中会社に顔を出し、書類に目を通したあと、2時間もかかる地方のガンセンターに毎日通いつめたのだ。当時彼は常務で、その任期で退職を覚悟していた。会社の方もそれを感じており好きに任せようということだったらしい。
毎日顔を出す彼に「愛妻物語」の美談が起こったのは当然だろう。看護婦の間ではすっかり有名になったようだ。わずかな社会的責任以外はすべてを投げ出し、ひたすら最愛の妻の最後に付き添う夫にうたれない人はいない。「おれ、評判になっちゃてるよ!」と照れた笑いを見せた彼だった。
浮いた噂も一つや二つではなく、自他ともに認める艶福家の彼を知る私は、すこし意外な気がした。そして彼の説明に納得(?)したのである。
「おれが浮気できるのは女房が元気だからだ。家に心配がないからできるんだ」
「女房が倒れたら、おれ浮気なんかできないよ。」
もちろん彼の真意はわからない。父親を早くに失い、長男として農家を継ぎ、目覚めて慶応大学に遅れて進み、今も土日は田や畑に立つという縄文人のような彼に、サラリーマンの生白い理論は通じない。しかも、年賀状に毎年、今年は100冊の新刊を読むとくりかえし知らせてくるほどの読書家でもある。
いずれにしても、夫婦の絆というものと人間の欲望というものが独自の論理で結び付けられているようだ。論語を読みながら遊郭で遊んだというかの渋沢栄一を崇敬する彼なのだから。
3人の男の子を残し、彼に見守られて、奥さんは50代の若さで逝った。告別式の挨拶に慟哭して詰まってしまった彼に、私はたまらずもらい泣きをした。
数ヶ月後、まったく予期しないことが起こった。彼が社長になったのである。一度捨てた会社人生にまた灯が点ったのだ。人生とは不思議なものだ。追いかけると遠くに去っていくものがあれば、忘れていたらやってくるものがある。
さて、今年63歳となる彼にいま、女性の影ありやなしや。


2000年02月24日(木)

昨晩読み終わった小説があとを引いている。
あまり知られていない女流作家による不倫物語だ。シカゴを舞台に、単身赴任の日本の総合商社支店長とシカゴ大学の博士課程にいる女子学生の悲恋だ。最後に彼女の交通事故死で終わる。なんということもないストーリーだが、その女子学生が魅力的で心に残った。つかの間の大人のお伽ばなしが、いつまでも心から去らず、切なさと憧憬が眠りの中まで入り込んできたようだ。
妻と二人でリュックを背負って、2週間に一回近くの図書館に行く。それぞれ本5冊とビデオ2本を借りてくるのがこのところの習慣だ。妻は無難に、名の知れた作家を選び、私は無名の作品を探しまわる。妻の本は読む前から感激がほぼ想像でき、私のものは当たりはずれがある。私の目下の対象は甘い恋愛小説だ。
私は美保代という女性を高校時代から愛している。恐らく死ぬまで彼女以上に魅力的な女性は私の前に現れないだろうと思う。もう40年想い続けている。
美保代は柴田錬三郎の小説「眠狂四郎」に出てくる薄倖の美女だ。将軍の寵愛を受ける寸前、狂四郎が略奪し妻とする。そして愛が芽生え通じ合ったとき、美保代に死が訪れる。ニヒルな狂四郎がますますニヒルになるという寸法だ。後年、大映が、市川雷蔵主演で映画化しヒットした。田村正和でテレビ化したような気がするが定かではない。映像化して原作を凌ぐものは少ないの言葉どおり、「眠狂四郎」も小説には敵わない。とくに美保代を演ずるに足る女優は日本にはいないだろう。それくらい私は美保代にイカれているのである。
冒頭のシカゴの女子学生への傾斜も美保代に通ずるものがあるのかも知れないと思う。私はまだ、お伽ばなしを信じ、絶世の美女が忽然と現れ、私の手をとって愛の国に導いてくれると妄想しているのかもしれない。それはちょうど女の子の永遠の白馬の騎士のように。
私の理想、憂いを含んだ薄倖の美女美保代が、この世では、屈託がなく生活力たくましい今の私の妻になった。妻にとって薄倖とは、甲斐性のない亭主を持ったそのことのようである。いずれにしても、理想と現実とは大きくちがうものだ。
あ!、娘の「じじい、与太話はいいかげんにしろ!」という声が聞こえる。ではこの辺で。


2000年02月25日(金)

遺伝子の解明とか遺伝子治療という言葉のイメージが、本人の努力や環境の選択で運命を変えられるという前向きな思想を後退させるのではないか。親から受け継いだ遺伝子の呪縛は大きい。書き込まれた設計図通り生きるしかないのではという無力感さえ持ってしまう。とくに体質や病因についてひとしおだ。
私は長年の痛風患者である。主治医の大先生より、この痛風体質と動脈硬化が早く進む体質は親から受けたものですから直しようがありません。あきらめてください、と宣告されている。恨むなら親を恨め、ということだ。
どうも私の両親は私に好いものをくれなかったようだ。この両親も親から授かったわけだから、両親だけを責めるわけにはいかない。私の場合、祖先崇拝ではなく、祖先呪詛だ。家系もたどれない雑系素性のわが家は、たどれば木曾の山猿にでもいきつくのかも知れない。
一昨日の、痛風治療薬の副作用、が我が家の夕食の話題であった。劇症肝炎を起こし何人か死んでいるという。ゆゆしきことだ。
実は私はこの薬を毎日2錠服用している。痛風の原因である過剰の尿酸を体外に排出するためである。排出しやすくするため、尿をアルカリ性にする薬も同時に飲んでいる。こもアルカリ化剤は2,3時間おきに飲まねばならず、これが大変なのだ。
妻も娘も即刻服用を中止すべきだという。どうせ長生きしないならあえてリスクを取る必要もあるまいという論理だ。肝炎で死ぬ確率のほうが高いのではないか、という素人の勘が働くようだ。
大先生は、痛風は薬でコントロールする以外、方法はありません、と日ごろから強調しており、私のタイプの痛風にはこの薬のほかは薦めなだ。この先生を頼りにもう10年以上飲んでいる。時々、もっと数値が下がったら一日1錠にしたいのですがね、と副作用のことは念頭にあるようだ。
迷った。朝まで迷っていた。ふぐは食いたし命は惜しい、か?いや、私だって薬など飲みたくはない..........。しかし痛風の発作は爆発的だ!
結局得意の折衷案だ。食後1錠のみと半分の量にした。1ヶ月後の検査結果でどう出るか?毎晩の晩酌も腹いっぱいも時々のステーキも止めねばなるまい。にんじんごぼうキャベツのキリギリスの生活だ。この点からしてやはり、私の祖先は木曾の日本猿と思わざるを得ない。
女性の痛風患者はまれだと言う。だから二人の娘よ安心あれ!


2000年02月28日(月)

日債銀がソフトバンクを主としたグループに委ねられることになった。
新聞をはじめとしたマスコミは、国民の複雑な感情を感じ取って微妙なニュアンスの報道だ。ネットバブルともいわれる、その業界の盟主であるソフトバンクのうさん臭さと、4兆円近くの公的資金をつぎ込んだいわば国民の持ち物といってもいい銀行を、そんな成り上がり企業に渡すのは、という感情が我々の根底にあるのではないか。新興企業でもあるオリックスはともかく、東京海上火災までソフトバンクのクモの巣(ウェブ)に絡めとられているのである。
米国も日本もネット株式だけが突き抜けている。ハイリスク&ハイリターンを求めてお金が集まるのだ。これはバブルで、いつかはじけると殆どの人が考えているのではないだろうか。そしてネット熱にあぶられ膨れ上がった大小の企業が奈落の底へ沈んでいく図を想像している。
我々の経験した、マネーゲームが主因だった過去のバブルと違い、産業革命といってもいい、インターネットによる技術革新と社会革新は、はじけてなくなるような空虚なものではない、という識者もいる。多少のブレはあっても過去の機軸と水準が違って経済は発展すると言う。こうした新しい時代の到来を、ウェブ財閥の出現と評し、更なる発展を予測するマスコミもある。
土地や、既存企業の株をもて遊んで転がしたマネーゲームとは、確かに異質な熱中のような気がする。その熱中の中核はIT技術というハイテクであり、ビジネスモデルという商売の新手法である。これらは土地と違って無限で無数だ。次から次と湧き出てくるものである。この点がウェブ経済成長の確信の論拠でもあろう。そしてインターネットが将来のインフラであることを疑う人はもはやいまい。
株式の支配で成長したソフトバンクは資本主義の体現者である。時代の熱気で大きく上昇する株価が、さらにその支配スピードを上げる。戸惑うエスタブリッシュメントの動きはいかにも遅い。ひとつひとつ侵食されている。
これらの構図を考えるとき、年代によって感じ方が一様でないことに気づく。もはや私の年代は滅びゆくものの中に位置しているのかも知れない。偉大なイノベーターであることは分かっていても、ビルゲイツや孫正義が好きになれないのだ。


2000年02月29日(火)

下の娘の男友達の何人かが銀行に入っていて、時々会って近況を報告し合うそうだ。彼女の話によると、彼らの給料とボーナスは仲間内の最低なのだそうだ。若い行員は、世間で言うほどの高給をもらっていないという。コンピューター会社や住宅会社の明らかに後塵を拝しているようだ。
そうすると、団塊の世代以上のミドルエイジの高給が国民に潜在するねたみと怒りの対象となろう。元と現の役員は、訴訟や直接批判の対象となる経営責任の当事者であるのだから、我々の怒りは顕在化することができるはずだ。いずれにしても銀行受難の時代になったものだ。と、こんな話を友人のD氏としていた。
D氏は米国人で来日して3年になる。58歳の氏は現在小さな英語学校を経営するが、もともと米国ではバンカメの銀行マンだ。支店長を歴任したあと、地方銀行の社長でキャリアを終えている。心臓バイパスの手術がリタイアーを早めたようだ。野心にあふれた娘の後見人として日本に滞在している。
彼がその地方銀行の社長だった当時、会社や自分を被告とした年間200件もの訴訟を抱えていたという。ローンに伴うものや、株主訴訟などいろいろあるのだそうだ。たまには個人で負けるケースもあり、自己弁済の例もあったようだ。そうしたリスクに対し会社や個人で保険をかけるのは、いまの日本でも珍しくはなくなった。彼の話から、訴訟社会アメリカのトップの厳しさを垣間見た。
こうしたリスクのもと果敢に経営を進めていく経営者に高給は当然だと思う。雇用者と被雇用者の間は厳然と一線が引かれているのである。俗にいう経営のプロが経営をするのである。論功行賞と年功で昇格する日本の経営陣がプロになるには少し年をとり過ぎ、被雇用者を経験し過ぎているようだ。鉄は早いうちに鍛えねばいい鋼にならない。そしてこれがいわゆるエリート(経営者)早期養成論に結びつく。
右肩上がりの日本経済が多数の経営者のサクセスストーリーを造ってきた。そしてその成功が敗戦で打ちひしがれた日本人の自信を回復してきたのである。グローバル化とはこうした旧成功派すなわち守旧派に退陣を迫ることになるのだろう。
人間は変われない。変われなければ去らなければならない。成長した経済に馴れた私の世代は変われるのだろうか?最近、このまますっと残り少なくなった私の時代が通り過ぎてくれることを願っている守旧派の私に気づいて愕然とするのである。政治は守旧派と革新派の狭間にあり、混迷している。


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