■デイリーインプレッション:バックナンバー 2000/03/01~2000/03/10
2000年03月[ /01日 /02日 /03日 /06日 /07日 /08日 /09日 /10日 ]

2000年03月01日(水)

いよいよ3月に入る。春はもうそこまで来ている。

しかしながら、わがフトコロは淋しく、朝晩の風は依然冷たい。ドコモ株で30億近い荒稼ぎをした小渕さんに対し、友情で買った株が値下がりし、妻にアホ呼ばわりで身の置き所のない私は、本当に金に縁がない。その友情の張本人、K社社長に恨み言のひとつも電話してやろうと考えたが、カッコ悪いからやめた。株の世界に友情など甘いロマンがあるわけはない。株価が下がるたびに友情がさめていくのは、私の下司たる所以だ。彼が社長になどなるからだ、と思うのは、やはり論理的ではない。

朝の冷たい風にほほを赤らめている女子高校生を見た。東京ではほほの赤い娘は少ない。りんごのほっぺは北国の象徴だ。日ごろの寒さの中でほほの毛細血管が膨張し、それが慢性化することによって赤いほほができ上がる。

実は私の若いころ、赤いほほで悩んだことがある。信州より18歳で上京したときは、私はりっぱな赤いほっぺをもっていた。友人いわく、顔にメイドイン信州のマークがあるね、である。いなかっぺとかダサいの象徴であるそれは、都会で劣等感を感ずる必要十分条件である。いくらほほをさすっても、高いローションを使ってもそこはいつまでも赤かった。

結婚しても残っていたように思う。同郷の妻は、よほど高い化粧品を使っていたのか、それとも面の皮が厚かったのか、最初から赤いほっぺを持っていなかった。

いつ頃なくなったのか思い出せない。東京のアカ!に汚れていくにつれて、赤が消えていった。そしてくすんで疲れた都会色に変わったのである。

そういえば、わが田舎にも赤いほっぺのりんごっ娘がいなくなってしまったようだ。地球温暖化のせいなのか、食生活なのか、外で遊ばなくなったからなのか、理由は定かではない。みんな都会人となったということなのか。

田舎の人は素朴で親切だというのはもう神話になってしまったけれど、それでも人はふるさとという田舎に憧憬をもつ。赤いほっぺの女の子が微笑んでいるあの日が心にあるかぎり...............。


2000年03月02日(木)

私の近しい友人のO氏は生来気短なひとだ。

短気は生まれ持った気質で遺伝性のものなのか、環境が形成するものなのか知らないが、大体がいい意味で定義されず他人から歓迎されない。O氏もそのこらえ性のなさから、若いころより周囲にある種の緊張感を強いてきたのである。突然ヒートするO氏のむら気を予測しつつ付き合うことは疲れることなのだ。

すぐ頭に血が上る氏はまた、すぐ血は下がるのである。今ないたカラスがすぐ笑うのたとえ通り、根は単純なのです、と氏は自己説明する。だから許されるというのか?と反論したくなるのであるが、またカーとされては元も子もないので、あえて口答えはしない。

O氏も年を取ってきたのか、最近丸くなってきたように思う。厳しかった眼光も目じりが垂れてやさしささえ漂うようになった。人生は何一つ自分の思うようにならないと知ったことと、血の巡りが悪くなって頭に十分血が周らなくなったからだと推察するのである。老いるということは、どれだけ周囲を和やかにするかという典型の人なのである。ものの本によると、老いてかえって気が短くなる人も多いという。

氏はまた奥さんとの仲もまたひじょうに良好なのだ。逆夫唱婦随の道をゆく。つまり尻に敷かれてうまくいっているのである。昔を知る私は先日、時々爆発しませんか?、と氏に尋ねたところ面白い答えが返ってきた。
O氏夫婦が新婚のころ、毎日帰りの遅いO氏を心配させようと、帰宅時間に押入れに隠れた奥さんがそのまま眠り込んでしまったこと、夢中でさがしまわって、やっと見つけた奥さんの無邪気な寝顔、そうしたままごとみたいな若き日を思い起こすのが秘策です、というのだ。頭に血が上りそうだと感じたら、奥さんの今の少々くたびれたお顔の上に、あの日のやさしい寝顔をダブらせるのだそうな。

ほんとかいな?奥さんがセーラー服着るような無理ありません?
それで本当に押さえられますか?と念を押したら、年一回くらいは、もしかしたら!であった。現在の不満を過去で代償することなんかできません!

いずれにしても気の短さは改善ままならないのに、私の余命と髪の毛はどんどん少なくなるのである。

O氏は誰かって? もちろん私ですよ。
こんなくだらない話私しか書きません。


2000年03月03日(金)

我々の世代は「サービス」という言葉に、本質的な物にプラスして何か付加的なモノを提供するというイメージをもつ。つまり「おまけ」だ。そしてサービス産業に働くと言えば、接客業に従事することを意味したように思う。役務の提供という意味もあろうが、「奉仕」というような人間の誠意や善意に基づく自発行為も含まれていた。

サービスは、こうした人間の行為そのものから、コンピューターがそれを代行する時代に変わろうとしている。まったく人を介さなくとも、買い物ができたり、情報を得たりすることができる時代が到来したのである。購入者の満足度は、接客者の態度やマナーからくるものより、情報や品数の多さ、便利なシステムに因ることが大きくなった。もっとも、店員のマナーや言動は、盲目的にマニュアルを丸暗記しただけの見せかけのものだから当然だが。

そうすると、サービスの良し悪しはデータベースの量とコンピューターソフトのでき具合に拠ることになる。これが十分でないと顧客の満足など到底得られるわけはない。ITに対しての投資が、これからの企業の盛衰を左右する問題であると言われる所以だ。米国にこの点で遅れた金融機関が、膨大な投資を一社で賄えなくて合従連衡しつつある現状はまさにそれである。

私がスペイン出張で、国内線が遅れたため日本への国際線を乗り逃がした顛末はすでにご報告した。その際何組かの日本人旅行者がいたが、関西空港に帰国予定の人達はサービスの違いによって明暗を分けたのである。

国内線の遅れを証明するチケットを示した先の窓口によって、ルートが違ったのである。いずれも係の使用したコンピューターソフトの違いによるものだ。帰りの便はいずれもがらがらだったから、人数で切られるはずはない。

ある年老いた夫婦が、アムステルダムからタイのバンコク経由で関空に至るルートであるのに対し、若い女の子が私と同便で成田に帰国し、それから大阪まで国内便で、と言う具合に違うのだ。時間も成田まわりが数時間早い。聞いてみると女の子はJALの窓口に行ったらしい。外国の航空会社は日本の国内便のデータがないのか、ソフトがカバーしていないのだろう。さすがJALで、ナショナルフラッグだ。後から知ってがっくりした老夫婦が、もう日本の航空会社しか乗らないと言っていたのはもっともだ。高い運賃がうなづける。

今日のニュースによると、オームの系列の会社がつくったソフトが官公庁や大企業で使われているという。もしかしたら、ミス入力すると「ポアせよ!」とでるのかもしれない。


2000年03月06日(月)

警察バッシングの日々が続く。

新潟県警の、女子監禁事件についての職務怠慢に発した一連の警察批判は大きく広がっている。どうも私には的が絞れず、ことの軽重が分かりにくい。あまりにも多くの問題が提示されていて私の頭が混乱しているのか、マスコミの散漫な報道姿勢の問題なのかよくわからない。

国家公安委員会を含めた警察組織そのものの不備なのか、監察制度やキャリアシステムの腐敗、運用ミスによるものなのか、警察官の職業倫理や業務レベルの低下が嘆かわしいのか、不祥事の罰則規定や責任の取り方についてなのか、それとも、今回槍玉にあがった人それぞれ個人の資質の問題なのか、いずれも軽重つけにくいのである。

歯切れの良さでときどきスカッとさせてくれる元警察官僚の佐々淳行氏が、自分のように信念を貫くキャリアが左遷されて出世できないのが警察の駄目な所以です、と言ったがその通りだと思う。「ダーティハリー」のキャラハン刑事は日本にはいないのである。もちろん警察だけでなく、動脈硬化を起こしている大組織は例外なく異端者をはじく。異端者が多数を占めるのは革命しかないのはいつの世も同じであろう。改革とか改正という名の、実際は名札を変えるだけの現状継続が常である。この数年、政官界の流れを見ればこう皮肉を言いたくなるのも無理はないのではないか。

ところで、私の警察観は自分の体験に根ざす。中学生のころ家に頻繁に遊びにきていた近くの交番の若い警察官の親密さとやさしさがまずスタートだ。持たせてくれた拳銃の重さと底知れぬ不気味さが警察官という職業の特殊性を感じさせた。
高校生のころ、喫煙で補導され説教されたことも懐かしい。もう二度と吸いませんと約束しながら卒業までやめられなかった。いま道を歩きながらタバコを喫っている女子高校生をみると隔世の感がある。

数年前、家の近くのスーパーで女性3人が殺害される事件があった。私の応対に不審な点があったのか、それとも何か知っていると感じたのか、刑事の訪問が3度ほどあった。「はぐれ刑事純情派」の藤田まことのような渋い刑事ではなく、にきび顔の学生のような若い二人で、これでは犯人はつかまるまいと思ったものだ。事実まだつかまらず迷宮入りの感がある。

親しみは感じるがどこかある種の怖さがあって、とにかく組織の人々というのが私の警察への感覚だ。取り締まられる感覚と守ってくれるという感覚が同居する。

渦中のトップの責任だの、エリートの資質など私には縁のない話だけれど、わが町にある警察が頼りになるかならないかは大きな問題である。


2000年03月07日(火)

今の親は分が悪いと思う。

子供に掛けた割合には見返りが少ないからだ。親の愛は無償のものだ、と言うけれど、こう世知辛くなると計算もしてみたくなるものだ。

昔は子が親の老後を看るのが常識だったと思うが、今は子に頼らない老後が当たり前だ。さらに昔は貧しくて大して子供に金もかけてやれなかったのに、子供に親の面倒を見るのだと、がっちり圧力をかけることができた。いまは、金をかけるほど、これは親のボランティアだから気にすることはない、私の始末は自分でするから、と格好をつけねばならないのである。かくして核分裂のごとく家族が増加していき、ウサギ小屋のマンションとミニ戸建てが郊外へと伸びるのだ。

娘の友達の米国娘が家に遊びにきた。持参の赤ワインを飲みながら日米子供比較に話の花を咲かせた。
米国の大人は18歳からだという。しかし、面白いことにお酒は21歳にならないと駄目だという。18歳というのは世間から個人の人間として認めてもらえる年齢だというのだ。クレジットカードがもてるのだという。そしてこれを機会に親の援助を受けないのが普通だという。大学は奨学金を得るか、働いて学費を稼ぐか、ローンを借りて行く。大抵は家を出て大学寮に入る。親からの独立が物理的に実施されるのだ。

親から見れば、子供が18歳になるまでキチンと育てる義務があるが、その後は自分のために人生を歩まなければならないということだ。親も子離れしなければならない。18歳といえば高校を卒業する年齢だ。日本人とて身体は立派に大人だ。結婚は日本人でも許されている。

日本の子供が大人になるのは22歳ですね、とその米国娘は言う。ほとんどの親が大学生の学費の面倒を見ている現状を指摘した。そしてそれをうらやましいと言うのだ。日本の英会話学校の教師をしながら、学生時代のローンを返して生活の苦しい彼女は、いまだにテレビもコンピューターもない。来日して9ヶ月経つのに、東京圏から外に出たことがないという。交通費が高いとこぼす。

18歳になったら、あとはおまえの人生だ、どうとも生きろ、と突き放せる親が日本にいたらお目にかかりたい。そのくせ、子どもが自立しないと嘆く(実はうれしい)親ばかりだ。日本の歴史において、いまの親が一番やさしいのではないか。

そしてそのやさしさが日本人を駄目にするのかも。


2000年03月08日(水)

M氏は少し自己顕示の強いところはあるが概して善良な人間だと思う。我々の世代が持つ楽観的な上昇主義がやや強めなのかも知れない。右肩上がりの経済成長を疑うことなく信じ、それに合わせて背伸びをしてきた素直な性格と言えないこともない。努力がそのまま昇進や給与に結びついてきた時代に生きてきたのである。自己顕示はそうした時代の有効な表現方法なのだ。

時代が変わって、誰もが当たり前に自己主張するようになり、さらに目立とうと思う者は独特な修辞技術を必要とするようになった。誰もがラッパを吹く時代は、同じラッパで差をつけるのは難しい。M氏の誇大広告的饒舌もウォークマンで鼓膜が破れているイモにいちゃんにはもはや通用しないのである。

M氏は、実はあの東芝府中の3億円の強奪犯人ではないかと私は思っている。事件の起こった当時、彼は近くのコンクリート製品工場に勤務していた。しかも犯人が乗った同型のオートバイに乗っていたのだ。事件の半年後、20代の若さで府中市内に一戸建てを購入した。さらに、誰が見ても彼は、あの手配モンタージュにそっくりなのだ。警察の包囲の輪はだんだんと狭まり、彼が重要参考人の何人かの一人となった。数回の事情聴取という名の取り調べがあったと言う。

胡散臭い彼を、会社は仙台に飛ばした。どうも田舎で逮捕させようという魂胆であったようだ。警察はあきらめず、彼を追って仙台まで執拗な捜査が続く。用意周到な彼はなかなか尻尾をつかませない。何を思ったか彼は、2年後にコンクリート型枠の剥離剤メーカーとなるべく会社を辞めるのである。

彼が選んだその商売に悪戦苦闘しているとき、私は彼に出会った。天才的詐欺師との異名とる彼の素晴らしい話術に私は魅かれてしまった。以来友人となり、もうすでに20年以上の時を刻むのである。

企業経営は時として資金の不足を招くときがある。零細企業は経営者の個人資金に依存せざるを得ない場合もある。銀行は天気の良い日しか傘を貸してくれない。
手元が不如意のとき彼に、隠してある3億円から少し調達してくれと頼む。彼は最後まで完全犯罪を意図するのか、ただにっこりとするだけだ。札束が腐って使い物にならないことを私は恐れる。だからもういいのでは、決して口外はしないからといつも言うのであるが.........。

そのM氏は私の勤務する会社の社長であり、いつも、ふところが寒い、としけた顔をしている。しかし私はだまされない。彼が真犯人にまちがいない。


2000年03月09日(木)

コンプロネットに「土質力学講座」と題して、週替わりで執筆していただいている伊藤教授の講義がそろそろ終了する。まったくの無料奉仕で、示されたご親切には言葉もない。先日電話した折、「手首が腱鞘炎になってしまったよ!」に、お礼とお詫びを言わねばならなかった。いまさらながら講義内容の量に驚くのである。原稿の遅れは一日とてなかった。

先生と私の付き合いはもう20年は優に越す。先生が講師の時代に開発した地盤の強化材料を、ある企業に橋渡しをしたことから始まった。まったくの新機軸の商品であったため、その市場開発には多くの労力と時間を要したのである。

私の立場がサラリーマンから自営者に変わり、制約を受けていた上市へのサポートが比較的自由になるにつれて、その商品は市場の一隅を確保していった。戸建住宅の高成長がそれを助けたのである。

協会を設立し、材料と工法の普及を図ったのは公式通りであり、親睦を意図し、ゴルフや海外旅行を実施したのはこれまた常法であった。先生と私は、そのほとんどに参加をした。開発者の無上の喜びは、それが世に受け入れられ、多くの人々が係わりゆくさまを見ることに尽きよう。イベントが実行された地方の温泉宿や、海外のホテルで感じた至福を、私はいまさらながら思い出す。先生もそうだったに違いない。開発冥利というものだ。

人の命に限りがあるように、商品にも潮時というものがある。商品の特許が昨年切れた。そして、その商品も新しい材料や工法に取って代わられつつある。終焉が来たのである。昨年協会を解散し、今年はもう皆集まることもなく、イベントも行われない。寂しさもあるが、私は満足感の方が大きい。私の年齢はもう、あらゆるもののたそがれを見る段階になっている。だから諦観で受け止めなければならないし、事実、いかなる下方曲線も良い方に考えてしまう根っからの楽観主義者だ。私の座標軸は、Y軸のプラスマイナスが逆となっている。

この商品の上市を通じて、先生と私はローヤリティとして何がしかの金銭を得た。
この点から言えば、二人はビジネスパートナーとも言える。そして彼は、実利と友情の観点から私にとって最高のパートナーであった。

友情だけが残っている今、彼は新たな誠意を示してくれた。彼の腱鞘炎の痛みに見合うお返しができるか考え中だ。何はともあれ、先生ご苦労様でした!


2000年03月10日(金)

最近は、キャリアだのエリートだの言うなれば選ばれた人たちの受難の時代と言える。彼らの職務倫理を厳しく問責する我々自身のことを省みるとき、少し無いものねだりをしすぎるのでは、と私は思うのである。さらに、根底には妬みが潜んでいるのかも、と考えもするのである。彼らだけが選ばれた特別に気高い思想を持っているとも思えず、ただ学校の成績で測った時に、少しばかり頭がいいと判断されたに過ぎないだけだ。モラルは頭の良さに比例はしないことは、過去の事実からも明らかなことだ。否、反比例することの方が多い、という人さえいる。

現代は、頭脳明晰な知識人はいっぱいいるけれど、高潔な人がめっきり少なくなった。私の周囲を見ても、失礼ながら、それらしい人は見つけられない。もっとも私の心の汚れが、高潔な心を感じ取れないほどひどいのかも知れない。したがって、悪しからず!

中坊公平さんが総理大臣とか政府とかの顧問となった。
拝金主義者の妻は、中坊さんいくら貰うのかね?と興味津々だ。国家公安委員が年収2600万円と聞いてなおさらなのかも知れない。功成り名遂げた著名人はほんのお小遣い程度でお国のためにつくしてもいい、と思うのは庶民の感覚だ。
天下の高潔人中坊氏の再登場を願わねばならぬほど、日本は人材不足であることは間違いない。民主党の言うように、竹下元首相の選挙区対策という説もあるが、小渕さん流の著名人材登用戦略は常に意表をつく。

宗教者は高潔な人格を本来持っていると私は考える。高潔とは何かと自身に問うてみても、小欲で嘘をつかないとか、禁欲で勤勉とか、弱者に優しくとか、どうも街の小心な善良者の枠から出ないのだ。宗教者の、信念をベースにした確固たるものに迫力で負けるのだ。高潔と善良は迫力の違いと解釈するのである。
キリスト教をバックボーンにする欧米諸国やイスラム圏に比較して、宗教をマインドミニマムとして、心の教育をできない日本は、モラルの構築に難しさがある。
儒教の影響ともいわれる家族主義が崩壊し、神道や仏教の残滓のみ慣行化している大多数の日本人に、前提となる規範はあるのであろうか?

「貧すれば貪す」とか、「恒産なくば恒心なし」の合言葉で、まず豊かになることを追い求めたきた日本人は、いま「高潔」さえ定義できない軟弱人になった。
妻に給料を残らず取り上げられる私は、まだ恒産が貯まらないので、もちろん恒心はない。だから腰がふらついているのである。


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