■夢追人のコラム:1999年09月29日号
No.05:原理・原則に忠実であることが道を拓く 夢追人

人間が係わるすべての事柄には原理・原則の規範があるといえる。
科学技術の分野にあっては、それが公理、定理、公式、法則などと呼ばれ、絶対的な価値判断の基準といえる。これらは、われわれの先達が、血まみれの苦闘によって築きあげてくれたものだ。コンクリートをはじめ、現代の建設関連技術もこの先達の礎のもとに成立していることは、多くの技術者は実感しているはずだ。

人間が営むこの社会には沢山の約束事がある。この基礎となるものに、「人はどうあるべきか」という倫理・道徳の共通認識がまずあろう。そしてそれが普遍的な原理・原則となり、法律として明文化されもする。そして、われわれはこのメカニズムを特に意識もせず暮らしている。

科学技術においては、あくまで原理・原則から逸脱した特例は認められないことが前提である。一方、人間社会の約束事のなかには、しばしばこの特例的なことが散見される。これは主として、社会の多様な現象にすり合わせるための必要な方便として許容されてきたことによる。この場合もそれなりの論理の組み立てにより正当化されるものだが。

科学技術の範疇にある建設技術の中に、原理・原則から外れたもの、すなわち特例ともいうべきものがいくつかあるのを私は知っている。そのひとつで、不可思議のことと問題にもされないで20余年経過してしまった事例をあげてみよう。

上部が一部開口され、下部が全面開口された構造を持つ側溝製品を設置し、全面開口された底部に生コンクリートを流し込み、流水勾配を任意に形成することを特徴とする側溝がある。上市当初は、側溝下部が小梁で補強されていたが、後に製造時の煩わしさから取り外され、そのまま今日に至っている。
さらに当初、側溝本体の構造計算が示されず、特許出願の明細では矛盾した論理で記載されていた。特許の審査は、計算根拠の正当性をもって、発明の新規性、進歩性の判断がなされるものではないが、原理・原則から外れたものは問題を残す。この点公開当時、一部から指摘されていたのだが。 私はこの商品は、少なくとも技術的矛盾を抱えた特例に近いものと信じている。

市場において競い合う前提として、同一のルールの下で行われることが公正な社会といえる。反則は容認してはならないのだ。いわゆるブラックボックスの透明性を高めるためにも、技術者は原理・原則から目をそらしてはいけなのではないか。


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